かんのんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
観音寺(高松町)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年01月24日(金)
参拝:2025年1月吉日
八形まもり観音の後は、観音像が一時預けられていたという長昌寺・・・ではなく、その隣の観音寺というお寺に向かいました😅w
長昌寺は足利三十三観音の札所、それもやや後半の方なので初参拝はもうちょっと引っ張りたい✋️ それと受印可能寺ということで情報も多く、ホトカミにもすでにいくつか投稿もあるので自分が慌てて行くまでもないかとw
一方、観音寺の方はほぼ情報皆無だったので、なぜ❓️と思って一度実地調査してみることにしました。
着いてみて納得。なるほど・・・観音堂だけの小さなお寺かぁ😲 しかし無住寺ではなく、連絡先も観音寺自身なので兼務寺でもなく単独寺院のようです。
一応、(旧)足利板東三十三観音の札所にはなってますが・・・この「(旧)足利板東三十三観音霊場」 江戸時代開設の古い観音霊場で一度廃れてしまい、昭和12年に「(新)足利板東三十三観音霊場」を新設。しかしそれも廃れて数年前に新設されたのが現在の「足利三十三観音霊場」です。
今でもたまに、新旧足利板東観音霊場の御朱印出してるお寺もありますが、ここは受印情報皆無なのでたぶんもう出してないんじゃないかと・・・自分も今回は受印欲がなかったので倉裏声掛けはせず(^^;
山号と本尊は評柱から判明、八形まもり観音とは無関係ですが、同じく如意輪観音ということでちょっとゾクッとしました😨👻👤w
その他の由緒情報は例によって皆無💨 一応「鎌倉時代に観音菩薩を慕う僧によって開山」という情報も出てきたのですが、これが「全国パワースポット検索」というやや怪しいサイトで「正月は初詣で賑わう」「観音菩薩の素敵な御朱印を出してもらえる」とか、かなりテキトーなこと書いてあったので採用しませんでした👎www
隣りが高松城(川島氏館)という中世武家居館跡で、ちょうどこの城の裏鬼門にあたる位置に観音寺があるので、こちらからも何か掴めないかと探ってみました。
この居館、戦国マニアや城マニアの注目度は高いようで、情報量は非常に多かったのですが、残念ながら寺との繋がりを示す情報は出てきませんでした😅w
長昌寺は足利三十三観音の札所、それもやや後半の方なので初参拝はもうちょっと引っ張りたい✋️ それと受印可能寺ということで情報も多く、ホトカミにもすでにいくつか投稿もあるので自分が慌てて行くまでもないかとw
一方、観音寺の方はほぼ情報皆無だったので、なぜ❓️と思って一度実地調査してみることにしました。
着いてみて納得。なるほど・・・観音堂だけの小さなお寺かぁ😲 しかし無住寺ではなく、連絡先も観音寺自身なので兼務寺でもなく単独寺院のようです。
一応、(旧)足利板東三十三観音の札所にはなってますが・・・この「(旧)足利板東三十三観音霊場」 江戸時代開設の古い観音霊場で一度廃れてしまい、昭和12年に「(新)足利板東三十三観音霊場」を新設。しかしそれも廃れて数年前に新設されたのが現在の「足利三十三観音霊場」です。
今でもたまに、新旧足利板東観音霊場の御朱印出してるお寺もありますが、ここは受印情報皆無なのでたぶんもう出してないんじゃないかと・・・自分も今回は受印欲がなかったので倉裏声掛けはせず(^^;
山号と本尊は評柱から判明、八形まもり観音とは無関係ですが、同じく如意輪観音ということでちょっとゾクッとしました😨👻👤w
その他の由緒情報は例によって皆無💨 一応「鎌倉時代に観音菩薩を慕う僧によって開山」という情報も出てきたのですが、これが「全国パワースポット検索」というやや怪しいサイトで「正月は初詣で賑わう」「観音菩薩の素敵な御朱印を出してもらえる」とか、かなりテキトーなこと書いてあったので採用しませんでした👎www
隣りが高松城(川島氏館)という中世武家居館跡で、ちょうどこの城の裏鬼門にあたる位置に観音寺があるので、こちらからも何か掴めないかと探ってみました。
この居館、戦国マニアや城マニアの注目度は高いようで、情報量は非常に多かったのですが、残念ながら寺との繋がりを示す情報は出てきませんでした😅w
入口評柱、これでかろうじて山号は判明💡
八形まもり観音が委託されていたのは隣の長昌寺ですが「如意輪山」という山号にちょっとゾクッとしましたw
八形まもり観音が委託されていたのは隣の長昌寺ですが「如意輪山」という山号にちょっとゾクッとしましたw
門を入ってすぐ左の供養塔
六地蔵
本尊とは別に重要文化財の地蔵菩薩も安置
着いてみたら・・・樹木に覆われた観音堂一つだけの小さなお寺だった💧
観音堂左に鎮守社二社、祭神不明
観音寺に隣接する中世武家居館の高松城
越前から来て館林城の赤井山城守に使えた川島宗満が永禄年間(1558〜70)に築城
今でも御子孫が住んでおり申し出れば見学可能だそうです
越前から来て館林城の赤井山城守に使えた川島宗満が永禄年間(1558〜70)に築城
今でも御子孫が住んでおり申し出れば見学可能だそうです
さらに東、癪除八幡宮との間に石造供養塔
江戸時代建立で、念仏供養塔を兼ねた道標だったそうです
正面には阿弥陀如来
東面は「東 さの道 高松村 東馬場中」
西面は「西 太田道」
すてき
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