さんれいしん
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楽しみ方三霊神のお参りの記録一覧

以前、戊辰戦争の一局面である、地元足利で戦われた梁田戦争の史跡巡りをしましたが、その戦場となった日光例幣使街道の梁田宿の外れに「三霊神」と刻まれた奇妙な石碑があるという情報を掴む📱💡
調べてみたところ・・・なにぃ⁉️本居宣長と平田篤胤だと‼️Σ( ̄□ ̄;)
神道界のレジェンドの名前がなんでこんな所に❓️😳
しかし、これが民家二軒に挟まれた空き地のような所にあって非常に参拝&調査しづらい💧とりあえず現地視察だけでもしてみるか😥と行ってみたところ、どうやら二軒ともすでに空き家になっているようだったので拝んでくことにしました🙏w
本居宣長、平田篤胤・・・中山英信?? 誰コイツ?( °д°)ポカーン
その他の刻まれてる人物についてもググっても全く情報が出てこない💫 当初は「神道=勤皇」と考え、梁田戦争の新政府軍側の無名兵士か維新志士ではないかと思ったのですが、最後の「中山太郎治」についてはヒット💡
なんと柳田國男や折口信夫と同時代に活躍した梁田出身の民俗学者❗ 自称 民俗学者+郷土史家の自分にとっては、いわば地元の大先輩みたいな人でした🌟w
Wikipediaを見てみたら、わりと思想とか研究手法も近かった😅www
さらに太郎先生よりもっと共感したのが親父殿の英直こと吉蔵氏。
「平田篤胤に傾倒し、店の経営を完全に妻に任せ、自分はもっぱら神道指南などの講義を行う毎日を送っていた」
さすが吉蔵!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!そこにシビれる!あこがれるゥ!
いいなぁ✨こういう生き方してえ😍 ・・・まぁ嫁さんはたまったもんじゃないけどね😅
自分が死んだ時にも、柳田國男・折口信夫・中山太郎の大先生に寄せて「四霊神」としてどこかに祀って欲しいですね🛐www

ご覧のように、かって商店だったと思われる家に挟まれた空き地に鎮座💧
しかしどちらもすでに空き家のようだったので参拝慣行!w

大きな石碑と小さな石祠
それと御神木で植えられたらしい榊の木が並んでます

大きく「三霊神」と彫られ、横には平田篤胤の曾孫 盛胤の謹書とあり
ちなみに平田盛胤と中山太郎はほぼ同時代の人。盛胤の養父 延胤も国学者で当時の神田明神の神職だったそうで、実際に吉蔵が師事したり交流があった可能性はあると思う

裏側が碑文となってます

この祠が三霊神なのか、それとも富士講や御嶽教のように石碑自体が三霊神で、こちらは別の神が祀られてるのかは不明💫

横には石碑とはまた別の中山家の親族の名前が刻まれてる
ちなみに太郎先生は戦後の昭和22年まで存命だったそうです 享年70歳

明治四十年三月十七日
うん?石碑より石祠の方が古いのか😲
てことは、こっちは中山家の氏神様か何かかもしれませんな
栃木県のおすすめ2選❄️
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