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2026年03月27日(金) 05時58分 byくし

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ご由緒
編集前
資料がなく詳細不明。
一本木自治会館と一体化している。
邑楽町藤川には、かつて両野三十三観音の第五札所だった医王寺という廃寺があったそうで、南東約1kmの所にある薬師堂が唯一残った堂宇であるとの情報があるのだが、この観音堂も元は一戸の寺だったのではないか思える立派なもので、こちらが医王寺跡の可能性もある。
――――――――――――
【藤川一本木弁天様】
観音堂と道路を隔てた東側の空き地に小さな弁財天の祠がある。
40年ほど前まではここに観音様が祀られていて、後ろが遊水池のような弁天池になっており、その中洲に弁天様が祀られていたのだが、洪水で流されて現在のようになった。
以前は5月中旬の己の日に春祭、10月上旬の己の日に秋祭が行われ大勢の人が集まった。
神主が拝み終わると太鼓が鳴り、それを合図に村人が集まり赤飯が振る舞われたという。
こうした祭りも昭和30年頃までは続いていたが、時代の流れとともに信仰心も薄れ行われなくなってしまい、現在は村民による神事のみ続いている。
編集後
資料がなく詳細不明。
かつては東の道路を挟んだ反対側で、南にある藤川に掛かる観音橋の袂にあったが、藤川の河川改修により現在地に移転。現在は一本木自治会館と一体化している。
移転前の場所には藤川一本木弁財天の祠が残る。
一本木には古くから、秋の彼岸に観音堂に子供が泊まり、祭りを仕切る「七夜連中」というお祭りがあった。
八木節や浪曲師や芝居一座を呼んだり、予算がない場合は子供自身が演劇、漫才、舞踊、剣舞、歌などの演芸を行い、弁天様の祭りと同じく大変賑わったという。
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【藤川一本木弁天様】
観音堂と道路を隔てた東側の空き地に小さな弁財天の祠がある。
40年ほど前まではここに観音様が祀られていて、後ろが遊水池のような弁天池になっており、その中洲に弁天様が祀られていたのだが、洪水で流されて現在のようになった。
以前は5月中旬の己の日に春祭、10月上旬の己の日に秋祭が行われ大勢の人が集まった。
神主が拝み終わると太鼓が鳴り、それを合図に村人が集まり赤飯が振る舞われたという。
こうした祭りも昭和30年頃までは続いていたが、時代の流れとともに信仰心も薄れ行われなくなってしまい、現在は村民による神事のみ続いている。
ご祭神/ご本尊
編集前
《本尊》聖観世音菩薩
《諸尊》弁財天
編集後
《本尊》十一面観世音菩薩
《諸尊》弁財天
巡礼
編集前
両野三十三観音霊場 第五番?