せんげんじんじゃ (おぞねせんげんやまこふん)
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楽しみ方浅間神社(小曽根浅間山古墳)のお参りの記録一覧

記念すべき(?)1500投稿目も無事完了したので、地味~な通常投稿に戻りますw
再び1月2日、群馬側から矢場川を渡って栃木側に戻り、次に行ったのがこちらの古墳上の小さな神社。
例によって神社自体の資料はほとんど出てこず😖 しかし古墳界隈ではわりと注目されてる所らしく、そっち系のブログなどは結構出てきました⛰️w
古墳の築造は4世紀代。
そう、3世紀末に邪馬台国の卑弥呼の後を継いだ台与タソの晋への遣使から、421年の倭の五王 讚の宋への遣使まで、約150年に渡り中国王朝の史書に日本のことが全く出てこなくなるという「空白の4世紀」と呼ばれてる時代ですね🇯🇵🔍️❓️
県内最古級の埴輪が出土しており、この推定年代が確かなら、大和王権の影響力は早くも4世紀には畿内から遠く関東まで及んでいたことになる🗾😳
一説によると台与は、豊玉姫命や豊鍬入姫命のモデルとも言われてますし、
倭の五王 讃・珍・済・興・武に比定されてる、応神・仁徳・履中・反正・允恭・安康・雄略などの古代天皇は、まさに神道の聖典ともいえる古事記・日本書紀に出てくる人物で、祀ってる神社もありますので、神社趣味や神話趣味的にも興味深い時代かと思います☝️(応神天皇なんて八幡様だしねw)
神社自体に関しては、唯一出てきた資料ではなぜかここ、浅間神社じゃなくて愛宕神社となってた(?_?)
一応、鳥居の額や浅間山という名前から、木花咲耶姫の浅間神社で登録しましたが・・・もしかしたら、いつの時代かに軻遇突智命の愛宕神社から変えられたのかも知れません🔍️❓️
というのもこの足利・佐野辺り、前の富士浅間宮にも見るように、江戸時代頃には富士信仰が盛んだったようで、どこの神社行っても富士講関係の石碑とか石神が一つ二つあるんですよ🗻 ここは南が開けてるので、富士山を遥拝する富士塚にするのにもってこいの古墳だったと思うし・・・🗻🙏
あとこの辺、一時期やたら火事が多かったらしくて、今回は行けなかったのですが、すぐ近くに火伏地蔵尊なんてのもあったり、少し東で偶然小さな愛宕神社を見つけたりもしました🔥(これについてはまた後程☝️)
実は7年以上前、足利に移住して最初はこの辺りに住んでたので、この古墳前も何度も通ったことがあります🚗
その頃はさほど寺社に興味がなかったためスルー😅w
今回行ってみたら昔はなかった石像が何体か立っててビックリ⁉️Σ(°Д°;) 宝船に乗った大黒・恵比寿や不苦労などの縁起物、あと子安観音ならぬチャイナ服かアオザイのようなものを着た謎の母子像などがありますが・・・
これらについても情報は全く出てこず💫 なんなんでしょうねこれ?(^^;

唯一出てきた資料では愛宕神社となってたが・・・やっぱり浅間神社だよなぁ( ・ω・)?

古墳の案内板
残念ながら神社の案内板はなし

古墳時代前期の四世紀築造、なぜこんな古い時代の古墳が遠く辺境の下野国にあるのか・・・

右手に昔はなかった謎の石像群ができててビックリ!Σ( ̄□ ̄;)
宝船の大黒・恵比寿🛶 不苦労🦉 兎・・・いや豚?のベンチ🐰🐷
・・・そして謎の母子像👶🧏♀️

「子供は家の宝 国の宝」
当初、子安観音とか慈母観音かと思ったのですが、表情とか髪型が妙に写実的というか現代的というか・・・あと服も何かチャイナ服っぽい🇨🇳💫
もし前のベンチが豚だとすれば、中国では豚は金運の象徴で、日本の招き猫みたいな金豚の縁起物があるので、もしかしたら中華系の人が関わってるのかも・・・

鳥居と同様に新しめの狛犬
土地の権利関係なのか、古墳上にT字型に柵や壁が張り巡らされてる🚧

社殿と、後ろに合祀社が一つあり
合祀社は柵で閉じられてて入れず😖

御神体は幣束の祀られた石祠

合祀社は一番右は稲荷社のようですが、あとは祭神不明❓️
栃木県のおすすめ2選❄️
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