やなだしょうこんしゃ
梁田招魂社のお参りの記録一覧
最後に、梁田戦争で被弾した松の木が移植されており、ちょっとした資料展示もあるという梁田公民館に寄ってみました。
現地に着いてみたら・・・お? 今まで気付かなかったけど何か神社もある( ・∀・) よし♪ これでホトカミでも紹介できるw
調べてみたら招魂社。しかし祀られてるのは日清・日露以降の戦没者だそうで、梁田戦争とは直接の関係はないそうですが・・・
弾痕の松も招魂社とセットのように何度か移植しているので意識はしてたかと思います。
梁田戦争は官軍にも多少の被害が出てますが、圧倒的に幕軍の方が死傷者が多かったそうで、やはり「幕軍=賊軍」という認識でおおやけには合祀できなかったんでしょうね(-ω-)
(他の慰霊碑や墓所も当初は建立を禁じられてたらしい)
ちなみに梁田戦争の兵力は、官軍200余に対して幕軍900余、しかし死者は官軍3人に対して幕軍62~100人以上(諸説あり)と圧倒的!Σ(; ゚Д゚)
幕軍側は酒宴とかして相当油断してたらしいですが、装備とか戦術なんかもかなり差があったんじゃないかと思います。
授与品というワケではありませんが、梁田公民館で資料をいただけましたw
弾痕の松を探していたところ、公民館の南側に招魂社があることに気付く
選挙などで何度か梁田公民館に来たことあるけど全く知らんかった(^^;
弾痕の松
・・・で、どこに弾痕があるんだ?(・_・?)
発見!
大砲の弾が当たった跡だそうです
約150前だともっと細かったと思うけど、よく折れたり枯れたりしなかったな(゜゜;)
招魂社の奉賛之碑
弾痕の松についてもシッカリ触れられてる
梁田招魂社
小さな狛犬もあり
屋根に☆がついてます
梁田公民館内の梁田戦争展示資料室
土日祝は休みですが入場無料
一室だけの展示ですが思ったより内容豊富でした♪
ちょっと見づらくてすみませんが(^^;
梁田戦争の官軍と幕軍の配置図
官軍側の使用した砲弾
幕軍側が使用した火縄銃
梁田戦争のレリーフ
星宮神社
弾痕の柱
弾痕の松とは別の旅籠にあったもの
ここが当たった痕ですかね?
これもまた別の旅籠にあった弾痕
散々鉄砲と大砲撃ち込まれた後に、薩摩兵が「チェストー!」とか突っ込んでくるとか恐ろしす((( ;゚Д゚)))
幕軍側の主だった面々
上段左の今井信郎という人は、なんとあの坂本龍馬暗殺にも関わった人だそうで!Σ( ̄□ ̄;)
幕軍側の隊長 古屋佐久左衛門
幕末屈指の兵学者で、この後も箱館五稜郭まで転戦するも、艦砲射撃の直撃を受けて戦死
享年37歳
こちらは官軍側の主だった面々
ほとんどが海軍大将や貴族院議員など明治政府の要職に着く
後に足尾鉱毒事件の視察という思わぬ形で梁田を再訪することになる人も何人か
薩摩藩の一般兵士
右の人に注目! このころからチェックのネルシャツってすでにあったんだwww
いや・・・この人だけ風貌が現代人ぽいし、もしかしてタイムトラベラー!?Σ(Д゚;/)/
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