かんとうごしゃいなりじんじゃ
関東五社稲荷神社の編集履歴
ふりがな
かんとうごしゃいなりじんじゃ
ご由緒
社記よれば、創建は平安時代の天慶5年(942年)、藤原秀郷が相模国松岡稲荷大明神をこの地に移し、宮を建設した。
松岡稲荷は、飛鳥時代の大化2年(646年)に創建されたもので、御祭神は伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴尊。 符合するものとしては、神奈川県鎌倉市浄明寺には藤原鎌足伝説が伝わる鎌倉稲荷社がある。
同時に烏森、王子、新福院、大栗稲荷の4社も当地に移されたので、これより関東五社稲荷大明神と称するようになったという。 当社はこのうち大栗稲荷で、下野国冨士村の地ともされる。
鎌倉時代の文治2年(1186年)、佐野荘司成俊が田沼一瓶稲荷を奉遷した。
建仁2年(1202年)9月、西場太郎成行が西場稲荷を奉遷した。
元久元年(1204年)2月、小山新左衛門尉朝長が小山稲荷を奉遷した。
元久2年(1205年)2月、阿曽沼四郎広綱が阿曽沼金屋稲荷を、藤倉太郎直政が熊谷稲荷を奉遷した。
文保2年(1318年)2月、園田四郎左衛門尉光氏が細谷稲荷を奉遷した。
元享2年(1322年)2月、藤岡伊勢守房行が藤岡稲荷を奉遷した。
戦国時代の文亀元年(1501年)2月、岩崎左馬助重長が岩崎稲荷を奉遷した。
永禄6年(1563年)2月、青山美濃照久が田島稲荷を奉遷した。
寛治2年(1088年)2月、小野寺式部大輔通成が小野寺稲荷を奉遷した。ただし、この年号には誤りがありそうで、恐らく江戸期の何かの年号と混同したもの。
これら10祠の元宮が当社で、当社は大栗稲荷山稲荷とも称された。
天正13年(1585年)、小田原の北条氏直が唐沢山城を攻め、同城の至近に位置した当社も兵火に遭い、社殿・宝物・古記録を焼失した。
明治6年(1873年)、現社号に改称し、現在に至る。
ご祭神/ご本尊
《主》伊弉諾命
《配》素盞嗚命・於褒娜武知命
《合》松岡稲荷・烏森稲荷・王子稲荷・新福院稲荷・大栗稲荷
編集前:《主》伊弉諾命,《配》素盞嗚命,於褒娜武知命
見所
藤原秀郷公創建の神社の一つ。
関東の有力稲荷五社を勧請合祀。
一瓶塚稲荷神社を初めとして、佐野周辺の稲荷社の多くはここから再分霊・勧請されたものである。
駐車場
なし
創立
天慶5年(942年)
創始者/開山・開基
藤原秀郷