御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

編集詳細

2026年05月08日(金) 02時44分 byくし

履歴一覧へ戻る
ご由緒
編集前
社記よれば、創建は平安時代の天慶五年(942) 藤原秀郷が相模国松岡稲荷大明神をこの地に移し、宮を建設した。
松岡稲荷は、飛鳥時代の大化2年(646年)に創建されたもので、御祭神は伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴尊。 
符合するものとしては、神奈川県鎌倉市浄明寺に藤原鎌足伝説が伝わる鎌倉稲荷社がある。
同時に烏森、王子、新福院、大栗稲荷の4社も当地に移されたので、これより関東五社稲荷大明神と称するようになったという。 当社はこのうちの大栗稲荷で、下野国冨士村の地ともされる。
――――――――――
【近郷各地の稲荷神社の元宮】
その後、関東五社稲荷は家祖藤原秀郷ゆかりの稲荷として子孫達により各地に分霊された。
鎌倉時代の文治五年(1186年)佐野荘司成俊が田沼一瓶塚稲荷として奉遷した。
建仁二年(1202年)9月、西場太郎成行が西場稲荷として奉遷。
元久元年(1204年)2月、小山新左衛門尉朝長が小山稲荷として奉遷。
元久二年(1205年)2月、阿曽沼四郎広綱が阿曽沼金屋稲荷として奉還。 同年、藤倉太郎直政も熊谷稲荷として奉遷。
文保二年(1318年)2月、園田四郎左衛門尉光氏が細谷稲荷として奉遷。
元享二年(1322年)2月、藤岡伊勢守房行が藤岡稲荷を奉遷。
戦国時代の文亀元年(1501年)2月、岩崎左馬助重長が岩崎稲荷として奉遷。
永禄六年(1563年)2月、青山美濃照久が田島稲荷として奉遷。
寛治二年(1088年)2月、小野寺式部大輔通成が小野寺稲荷を奉遷した。ただし、この年号には誤りがありそうで、恐らく江戸期の何かの年号と混同したもの。
これら10祠の元宮が当社で、当社は大栗稲荷山稲荷とも称された。
天正13年(1585年)小田原の北条氏直が唐沢山城を攻め、同城の至近に位置した当社も兵火に遭い、社殿・宝物・古記録を焼失した。
明治6年(1873年)、現社号に改称し現在に至る。
編集後
社記よれば、創建は平安時代の天慶五年(942) 藤原秀郷が相模国松岡稲荷大明神をこの地に移し、宮を建設した。
松岡稲荷は、飛鳥時代の大化2年(646年)に創建されたもので、御祭神は伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴尊。 
符合するものとしては、神奈川県鎌倉市浄明寺に藤原鎌足伝説が伝わる鎌倉稲荷社がある。
同時に烏森、王子、新福院、大栗稲荷の4社も当地に移されたので、これより関東五社稲荷大明神と称するようになったという。 当社はこのうちの大栗稲荷で、下野国冨士村の地ともされる。
――――――――――
【近郷各地の稲荷神社の元宮】
その後、関東五社稲荷は家祖藤原秀郷ゆかりの稲荷として子孫達により各地に分霊された。
鎌倉時代の文治五年(1186年)佐野荘司成俊が田沼一瓶塚稲荷として奉遷した。
建仁二年(1202年)9月、西場太郎成行が西場稲荷として奉遷。
元久元年(1204年)2月、小山新左衛門尉朝長が小山稲荷として奉遷。
元久二年(1205年)2月、阿曽沼四郎広綱が阿曽沼金屋稲荷として奉還。 同年、藤倉太郎直政も熊谷稲荷として奉遷。
文保二年(1318年)2月、園田四郎左衛門尉光氏が細谷稲荷として奉遷。
元享二年(1322年)2月、藤岡伊勢守房行が藤岡稲荷を奉遷。
戦国時代の文亀元年(1501年)2月、岩崎左馬助重長が岩崎稲荷として奉遷。
永禄六年(1563年)2月、青山美濃照久が田島稲荷として奉遷。
寛治二年(1088年)2月、小野寺式部大輔通成が小野寺稲荷を奉遷した。ただし、この最後のものだけは年号に誤りがありそうで、恐らく江戸期の何かの年号と混同したもの。
これら10祠の元宮が当社で、当社は大栗稲荷山稲荷とも称された。
天正13年(1585年)小田原の北条氏直が唐沢山城を攻め、同城の至近に位置した当社も兵火に遭い、社殿・宝物・古記録を焼失した。
明治6年(1873年)、現社号に改称し現在に至る。