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2025年02月16日(日) 01時36分 byくし
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せんのういん
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纏まった資料が見つからず詳細不明。 元は曹洞宗、その前は天台宗だったようである。 「元徳2(1330)年庚午2月20日、安蘇郡富士村の天台宗泉応院恵昌法印という者が京都比叡山にのぼり二品尊雲法親王(護良親王)の門徒となって名前の一字を授かり尊海と改名する」とあるため、鎌倉時代末には存在していたようだ。 このとき尊雲法親王の御守り本尊である馬頭観世音1体を尊海に授かる。尊海は故郷に帰り富士村泉応院へ馬頭観世音を納め本尊とした後、尊海は環俗する。 「佐野氏14代 豊綱(永正元年(1504年) - 永禄2年(1559年))による創建」との資料もあり、この時代に再興されたものか? 天正13年(1585年)元旦、佐野氏当主 宗綱が討ち死にし、佐野家中は後継を巡り佐野房綱(天徳寺宝衍)を筆頭とする佐竹派と、家老 大祓(大貫)越中守武重を筆頭とする北条派が対立、次第に北条派が優勢となり佐野房綱は出奔し中央の豊臣秀吉に仕える。 天正十六年(1588) 大祓越中守武重は、泉応院住職 梅雲和尚を憎み、正月一八日夜 火を放ち同院を焼き梅雲を殺さんとしたとの記録がある。
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《本尊》不明
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https://www.tochinavi.net/spot/home/?id=18553
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泉応院
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不詳 少なくとも鎌倉時代
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不詳
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銅鐘(佐野市指定重要文化財)