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2025年03月09日(日) 05時29分 byくし
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堂自体の由緒は不明。 幕末、若き日の田中正造は、小中村の名主として村民らとともに領主の六角家に対して政治的要求を行っていたが、捕らえられ江戸の獄に入れられてしまう。 明治二年(1869)に釈放されるが、領内追放となり、小中村と隣接した堀米村(井伊家領)の地蔵堂で手習い師匠を始めた。「居ること百有余日、門人漸く三十人に達して、師弟の間いつも和気あいあいたり」と伝わる。 小さな地蔵堂の横に榎の大木が生えている。明治三十九年(1906)9月10日、木下尚江にせがまれて、石川三四郎(他に正造を尾行する巡査)と生家に向かう途中、ここで人力車を止めさせ、この榎を見上げて「あの時や、子供の手ほどだっただが・・・」と若き日に想いを馳せたという。
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田中正造ゆかりの小さな地蔵堂。
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不詳
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不詳
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