えんめいじ
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延命寺(身代り不動尊)ではいただけません
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延命寺(身代り不動尊)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月28日(木)
参拝:2023年7月吉日
🌼延命寺(えんめいじ)に参拝させて頂きました🙏(通称: 身代わり不動尊)
🌺当寺院は小山市より、美しい呼名で知られる思川を渡って大平町へ入り、この付近は一面の田園地帯なのだが、大小さまざまの森や丘が点在していて、近くの太平山頂から眺めると、まるで海の上に数々の島が点在しているかのようです。 ☘️このため大平町は『陸の松島』とも呼ばれ、栃木の景勝百選のひとつとなっているそうです。🍒延命寺も又、その島のひとつなのだろうか。周囲をたくさんの木々で囲まれた堂宇は、華美な装飾を一切取り去り、ただひたすらに清々しい。🌸建治年(1275~1277)亮弁僧都が、永野川のほとり(現在「元屋敷」とよばれている地区)に、一宇を建てて、お地蔵様をおまつりして、地蔵院と称したのがこの寺の開基であると伝えられています。🌼中興開山秀範上人は、永和四年(1378)鎌倉管領の帰依を受けて、清瀧権現の鎮守とし、愛染堂を営んだが、康暦二年(1380)山号・寺号・院号を制定した。それ以来如意山吉祥院延命寺と称しています。🌺応仁の乱の頃、法難に遭い、黒印所領を失い、寺門堂塔半壊、什物仏像多数を失いました。しかしながら、近在の檀信徒の信仰はますます厚く、本尊様の威光倍増して、寺門も興隆し、中本山正談林寺の格式を得ました。寺領十町歩、末寺も七ヵ寺がありました。☘️延命寺が現在地に移ったのは、承応元年(1652)七月、中興第十四世賢栄の時でありました。現在の本堂は、その後、幾たびか増改築されたが、外観は往時の面影を今に伝えています。
🍁栃木県栃木市大平町西水代1864−1
🌺当寺院は小山市より、美しい呼名で知られる思川を渡って大平町へ入り、この付近は一面の田園地帯なのだが、大小さまざまの森や丘が点在していて、近くの太平山頂から眺めると、まるで海の上に数々の島が点在しているかのようです。 ☘️このため大平町は『陸の松島』とも呼ばれ、栃木の景勝百選のひとつとなっているそうです。🍒延命寺も又、その島のひとつなのだろうか。周囲をたくさんの木々で囲まれた堂宇は、華美な装飾を一切取り去り、ただひたすらに清々しい。🌸建治年(1275~1277)亮弁僧都が、永野川のほとり(現在「元屋敷」とよばれている地区)に、一宇を建てて、お地蔵様をおまつりして、地蔵院と称したのがこの寺の開基であると伝えられています。🌼中興開山秀範上人は、永和四年(1378)鎌倉管領の帰依を受けて、清瀧権現の鎮守とし、愛染堂を営んだが、康暦二年(1380)山号・寺号・院号を制定した。それ以来如意山吉祥院延命寺と称しています。🌺応仁の乱の頃、法難に遭い、黒印所領を失い、寺門堂塔半壊、什物仏像多数を失いました。しかしながら、近在の檀信徒の信仰はますます厚く、本尊様の威光倍増して、寺門も興隆し、中本山正談林寺の格式を得ました。寺領十町歩、末寺も七ヵ寺がありました。☘️延命寺が現在地に移ったのは、承応元年(1652)七月、中興第十四世賢栄の時でありました。現在の本堂は、その後、幾たびか増改築されたが、外観は往時の面影を今に伝えています。
🍁栃木県栃木市大平町西水代1864−1
すてき
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