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三毳神社の編集履歴
2023年05月28日 14時45分
ご由緒
元正天皇養老四年720庚申九月、蝦夷が蜂起し按察使上毛野朝臣廣人を殺害。
多治比眞人を征夷将軍とし鎮圧に向かわせる。
三毳山まで来た多治比眞人が頂上に日本武命を勸請し戰勝祈願したことに始まる。
蝦夷鎭定に成功後の翌養老五年721辛に祠を建て、国家鎮護の神社となし三毳神社と号する。
後に藤姓足利氏の足利成俊が崇敬し、寿永二年1183癸卯三月四日神殿を改造。
四百四年を経た天正十三年1585乙酉三月二日、佐野氏と北条氏との戦いで兵火に掛かるも同年九月九日に神殿を再建。
元和九年1623癸亥九月、当地の領主となった永井右近太夫直勝が崇敬し祭祀営繕料として數町歩の社地を寄附し、十九戸の氏子か神殿を改築。
寛永十年1633癸酉四月、土井利勝の領地となり若干の除地を附せらる。この時氏子増殖して四十戸。
寛文六年1666丙午三月四日、拝殿を増築。
明治六年一月郷社となるも、明治十年行政都合により村社となる。
ご祭神/ご本尊
《主》日本武尊
《配》伊邪那岐命・伊邪那美命・迦具土命・大山祇命・倉稲魂命・五十猛神・香々春男命
《境内社》天満宮・浅間神社・琴平神社・厳島神社
編集前:日本武尊
御朱印
あり
創立
720年(養老4年)
創始者/開山・開基
多治比眞人
行事
4月4日 例祭
ご神体
三毳山
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