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大中寺ではいただけません
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大中寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月27日(金)
参拝:2022年5月吉日
栃木県栃木市大平町西山田にある曹洞宗の寺院で関三刹のひとつ。山号は太平山。
久寿元年(1154)、真言宗寺院として創建されたと伝わる。その後、延徳元年(1489)、快庵妙禅師が曹洞宗の寺として再興した。
天文から弘治の頃(16世紀半ば)に後継争いで寺は2つに分裂し荒廃するが、永禄5年(1562)に快叟の弟子である天嶺呑補が再興した。また、快叟が上杉謙信の叔父にあたることから謙信によって伽藍が整備された。
天正19年(1591)、当寺は徳川家康により曹洞宗の関八州僧録職に任命され、慶長17年(1612)には下総の總寧寺(千葉県市川市)、武蔵野龍穏寺(埼玉県入間郡越生町)と共に天下大僧録(関三刹)の一となる。
境内には、「不断のかまど」「油坂」「根なしの藤」「馬首の井戸」「不開の雪隠」「東山一口拍子木」「枕返しの間」などの七不思議の話が伝わっている。
久寿元年(1154)、真言宗寺院として創建されたと伝わる。その後、延徳元年(1489)、快庵妙禅師が曹洞宗の寺として再興した。
天文から弘治の頃(16世紀半ば)に後継争いで寺は2つに分裂し荒廃するが、永禄5年(1562)に快叟の弟子である天嶺呑補が再興した。また、快叟が上杉謙信の叔父にあたることから謙信によって伽藍が整備された。
天正19年(1591)、当寺は徳川家康により曹洞宗の関八州僧録職に任命され、慶長17年(1612)には下総の總寧寺(千葉県市川市)、武蔵野龍穏寺(埼玉県入間郡越生町)と共に天下大僧録(関三刹)の一となる。
境内には、「不断のかまど」「油坂」「根なしの藤」「馬首の井戸」「不開の雪隠」「東山一口拍子木」「枕返しの間」などの七不思議の話が伝わっている。
すてき
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竜王1315投稿
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