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2025年02月12日(水) 06時23分 byくし
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浅間神社
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癸生浅間神社
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けぶせんげんじんじゃ
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下野国都賀郡大塚村癸生の浅間神社は、如何にして木花咲耶姫命が父の大山祇神の譲を受け、秀峰富士山の神として赴くことになったかを伝える伝説の地である。 天孫瓊瓊杵命に見初められ妻となった木花咲耶姫だが、一夜で身籠ったため、国津神の子ではないかと瓊瓊杵命から疑われる。 姫は疑いを晴らすため「もしお腹の子が国津神の子なら無事に生まれないでしょう 天津神の子なら無事に生まれるでしょう」と誓約をし産屋に入り火を放った。姫は火中で火照命・火須勢理命・火遠理命の三柱の神を無事出産し貞操の疑いを晴らした。 しかしこの事で瓊瓊杵命に愛想が尽きてしまった姫は故郷の室の八嶋(大神神社)から逃げ出す。 瓊瓊杵の使者から逃れる木花咲耶姫は、この癸生の地で臼造りの翁と出会う。事情を聞いた翁は姫を臼の中に入れ匿った。 瓊瓊杵命に、姉の岩長姫を醜いと侮辱されて返され、妹の木花咲耶姫も不貞を疑われ不仲となったのを見かねた父の大山祇神は、思案の末、木花咲耶姫に自らに代わって富士山の神となるように諭し、この地で棺にたくさんのニラ・ニンニク・コノシロなどを積めて焼き、瓊瓊杵命には姫は死んだと偽った。 木花咲耶姫は煙にむせび別れの涙を流して癸生の地を離れ富士山に旅立ったという。 神社の起源は、大同元年(806)大山祇神が棺を焼いた焼却場に石を祀ったことに始まるとと伝わる。 その後,石は行方不明になるが,承応二年(1653)富士講行者の正田正行が口碑を頼りに見つけ出し、石宮を祀った。 また、この周辺には、姫が富士山に旅立つ途中に名残を惜しんだという「一度橋」「見返り浅間」といった史跡も点在する。 「おくのほそ道」(1689)にて室の八島に立ち寄った松尾芭蕉に、木花咲耶姫の火中出産やコノシロの話をして聞かせた河合曾良の旅日記には、癸生村の場所が書き残されている。
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《主》木花開耶姫命
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《主》木花開耶姫命 《境内社》八坂神社・大杉神社
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古事記・日本書紀にある瓊瓊杵命と木花咲耶姫の神話の後日談。 木花咲耶姫がいかにして富士山の神となったかの伝説が伝わる。
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大同元年(806年)
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不詳
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11月18日 例祭
