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2025年03月05日(水) 01時55分 byくし
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元正天皇養老四年(720)庚申九月、蝦夷が蜂起し按察使上毛野朝臣廣人を殺害。 多治比眞人を征夷将軍とし鎮圧に向かわせる。 三毳山まで来た多治比眞人が、頂上に日本武命を勸請し戰勝祈願したことに始まる。 蝦夷鎭定に成功後の翌養老五年(721)辛に祠を建て、国家鎮護の神社となし三毳神社と号する。 後に藤姓足利氏の足利成俊が崇敬し、寿永二年(1183)癸卯三月四日神殿を改造。 四百四年を経た天正十三年(1585)乙酉三月二日、佐野氏と北条氏との戦いで兵火に掛かるも同年九月九日に神殿を再建。 元和九年(1623)癸亥九月、当地の領主となった永井右近太夫直勝が崇敬し祭祀営繕料として數町歩の社地を寄附し、十九戸の氏子か神殿を改築。 寛永十年(1633)癸酉四月、土井利勝の領地となり若干の除地を附せらる。この時氏子増殖して四十戸。 寛文六年(1666)丙午三月四日、拝殿を増築。 明治六年一月郷社となるも、明治十年行政都合により村社となる。
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三毳神社の里宮
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岩舟駅 里宮(遥拝所)のみの参拝の場合は道の駅みかもより徒歩2分。 山頂の奥宮参拝の場合は里宮もしくはみかも山公園南駐車場から登拝。およそ30分前後 山頂中継広場から東の尾根に三毳神社、西の尾根に摂社の琴平神社。
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養老四年(720年)
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多治比眞人
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三毳山
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