いわふねざんこうしょうじ|天台宗|岩舟山
岩舟山高勝寺の編集履歴
名前
岩舟山高勝寺
編集前:岩船山高勝寺
ふりがな
いわふねざんこうしょうじ
編集前:いわふねさんこうしょうじ
通称
岩舟地蔵尊
編集前:いわふねさん
ご由緒
宝亀元年(770年)伯耆国大山に弘誓坊明願という名僧が住んでいた。
日頃、生きている地蔵菩薩を拝みたいと願っていたが、ある日、夢の中に尊いお仏様の声を聞いた。
「下野国岩船山に登るべし、必ず生身の地蔵尊を拝すべし。」明願は、限りなき法悦に浸りながら、下野の国への旅に出た。
長旅の後、ようやく岩船に着いたが、すでに日も西におち、戸毎一夜の宿を求めて歩いていたが、見知らぬ僧を泊めてくれる家はなかった。途方に暮れた明願であったが、最後に山腹の草庵をみつけ、さいわい止宿が許された。庵主は伊賀坊といい、月々の十八日、二十四日に山に登れば、生身の地蔵尊を拝むことが出来ると教えてくれた。その話を聞いた明願の喜びは限りないものであった。
そんなある夜、村人が来て「伊賀坊おわすや、明日田を耕すから牛の鼻縄をとってくれ給え。」また村人が来て「明日の屋根吹き替えに手を貸し給え。」また別の村人が来たりて「明日の井戸掘りに手を貸し給え。」という願い一つ一つを快く承知した。
明願は不審に思い夜が明けて、伊賀坊が出かけた後村を廻った。昨日約束をしたどの家にもいて、どの家でも懸命に働いていた。やがて夜になりあれほど働き続けた伊賀坊であったが、明日は生身の地蔵尊を拝まんと云う。
次の朝、二人は未だ夜も明けきらぬ山路をよじ登った。山頂に立った時、折からの旭が美しく頂きの岩を染め、小鳥の声もさわやかに響いた。
明願は恭しく岩上に端座し、一心に願った。やがて眼前の船形の大岩の上に金色漠然たる光を放った地蔵尊が現れた。念願叶い明願はしばらく拝むことができた。二人は連れだって草庵に帰り、所願成就した明願は帰国した。
翌年、再び岩船を訪れた明願は、さっそく草庵を訪ねたが草庵の跡もなく、村人も草庵のあったことや伊賀坊がいたことも知らない。ただ山腹に地蔵尊があるのみである。不思議なこともあるものと地蔵尊をのぞき込んだ明願は、その時、その顔が伊賀坊そっくりであることに気づき、はじめて伊賀坊こそが地蔵尊であった事を悟った。明願はその地蔵尊を本尊として堂を建て、この地に留まって象生済度につくされた。
地蔵出現の地こそ奥の院船形の岩である。
宝亀2年(771年)弘誓坊明願により開山。
山全体が船の形をしているところより「岩船山」と云われており、本堂のある方が船の先の方、賽の河原のある方が後方で、その中間に仁王門がある。 本尊は地蔵尊、「生身の地蔵」といい死者を暖かく懐に抱いてくれると同時に、子授け、子育て、安産の地蔵尊である。岩船山は、死者の霊の集まる処、霊魂の故郷ともいわれている
徳川三代将軍家光の側室「お楽の方」は岩船地蔵を信仰。
江戸城に入る時、岩船から地蔵様をむかえて場内に祀り、子孫繁栄と武運長久を祈った。その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱候と云われている。
ご祭神/ご本尊
《本尊》生身の地蔵菩薩(秘仏)
《諸尊》開祖弘誓坊明願像・お尋ね地蔵・地蔵大仏
《鎮守社》孫太郎尊(岩舟神社)
《堂宇》三重の塔
編集前:地蔵菩薩、孫太郎尊
見所
日本三大地蔵尊の一寺。
岩舟山は死者の霊が集う山と伝わり日本三大霊山とも云われる。
数々のヒーローが戦った特撮の聖地でもある。
アクセス
佐野ICから車で10分
編集前:佐野ICから車で10分
駐車場
あり、車で直接上がる場合は山上の仁王門前。
登拝する場合は登山口前の十字路の南に駐車場。
登山道ほぼ中間の右側にも駐車場あり。
山号
岩舟山
創立
宝亀2年(771年)
創始者/開山・開基
弘誓坊明願
行事
1月1~3日 初参り
3月17~23日 春彼岸(本尊開帳)
5月第三日曜日 子授地蔵大祭
8月13~16日 盆
9月20~26日 秋彼岸(本尊開帳)
11月24日 人形供養
12月24日 納め地蔵
文化財
高勝寺三重塔 (栃木県指定重要文化財)
高勝寺山門 (栃木県指定重要文化財)
高勝寺鐘楼 (栃木県指定重要文化財)
西院の河原堂 (栃木市指定重要文化財)
大仏 (栃木市指定重要文化財)
燈籠 (栃木市指定重要文化財)
Wikipedia
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