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壬生寺ではいただけません
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壬生寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年03月10日(日)
参拝:2024年3月吉日
正式名:紫雲山壬生寺
栃木県下都賀郡壬生町大師町にある天台宗の寺院で、慈覚大師円仁誕生の地として伝えられる。
江戸時代の貞享3年(1686)、日光輪王寺の門跡天真親王が、時の壬生城主三浦壱岐守直次に命じて大師堂を再建し、小山市飯塚の台林寺をその側に移して別当とした。その際、慈覚大師が産湯をつかったとされる「産湯の井戸」も改修された。
その後、幕末の文久2年(1862)、大師一千年遠忌にあたり、大師堂の改修が行われた。その後、台林寺は小山市飯塚に戻っている。
大正2年(1913)の大師1050年遠忌には輪王寺門跡彦坂大僧正のもとに、壬生町長を中心とした壬生町信徒報恩会を組織。大師堂の側に東京上野の寛永寺にあった天台宗学問所(旧勧学寮)を本堂として移築し、大正5年(1916)に新たに壬生寺を創立した。
境内には慈覚大師ゆかりのものだけでなく、県の天然記念物に指定されている樹齢400~500年の大イチョウもあり、近年パワースポットとして知られている。
栃木県下都賀郡壬生町大師町にある天台宗の寺院で、慈覚大師円仁誕生の地として伝えられる。
江戸時代の貞享3年(1686)、日光輪王寺の門跡天真親王が、時の壬生城主三浦壱岐守直次に命じて大師堂を再建し、小山市飯塚の台林寺をその側に移して別当とした。その際、慈覚大師が産湯をつかったとされる「産湯の井戸」も改修された。
その後、幕末の文久2年(1862)、大師一千年遠忌にあたり、大師堂の改修が行われた。その後、台林寺は小山市飯塚に戻っている。
大正2年(1913)の大師1050年遠忌には輪王寺門跡彦坂大僧正のもとに、壬生町長を中心とした壬生町信徒報恩会を組織。大師堂の側に東京上野の寛永寺にあった天台宗学問所(旧勧学寮)を本堂として移築し、大正5年(1916)に新たに壬生寺を創立した。
境内には慈覚大師ゆかりのものだけでなく、県の天然記念物に指定されている樹齢400~500年の大イチョウもあり、近年パワースポットとして知られている。
すてき
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竜王1332投稿
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