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2024年01月19日(金) 00時37分 byくし
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こうけんてんのうじんじゃ
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今から千二百年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。かつて道鏡は法王として孝謙天皇(女帝)に最も厚い信任を得ていました。 女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地にまえり病没したと伝えられていますが、女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた高級女官の篠姫・笹姫も配流されてきた。 二人は奈良の都には永久に帰ることが出来ない事を悟り、女帝の御陵より分骨をして戴き、銅製の舎利塔に納め当地にあった西光寺に安置し女帝の供養につとめた。その後西光寺は廃寺となり、村人達は舎利塔をご神体に祀り孝謙天皇神社と改めている。 (神社案内板より) このような神社縁起が伝わっているが、史実では道鏡が配流されたのは孝謙天皇の崩御後であり、女帝が道鏡を追って下野まで来ることはあり得ない。 後半部の篠姫・笹姫(おそらく道鏡に連座して失脚した高級女官や侍女)の配流はあり得るかと思うので、実際に女帝の遺骨を持ってきたのかはともかく、この二人の配流譚が誇張して伝えられたものと思われる。
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《主》孝謙天皇
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《主》孝謙天皇 《配》御篠元女官・御笹元女官 《境内社》神明大神・八坂大神・稲荷大神・八幡大神・村上社
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不詳
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不詳
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9月4日(月遅れで実施) 例祭
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孝謙天皇の舎利塔
