こうけんてんのうじんじゃ
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孝謙天皇神社について
道鏡とともに下野配流となった二人の高級女官が、孝謙天皇の遺骨を密かに持ち出し葬ったと伝わる神社
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この後、怪僧 弓削道鏡が配流された下野薬師寺に向かう予定だったのですが、偶然、道鏡に纏わる面白い伝説のあるこちらの神社を見つけて行ってみました。
道鏡が下野薬師寺に流された後、道鏡を寵愛していた孝謙女帝も道鏡を追って下野にやってきたが病没。
道鏡とともに孝謙女帝に仕えていた篠姫・笹姫という高級女官が、孝謙天皇の御陵から遺骨を分骨し、この地に葬ったとのことなのですが・・・
孝謙天皇は重祚して称徳天皇と名前を変えてるし、そもそも道鏡が配流されたのは天皇の崩御後。
それにもしこんな所に天皇のお墓があったら、天皇陵を発掘させない宮内庁が黙ってるはずがないんですがw
と、まぁツッコミ所満載な神社ですがw やはり下野薬師寺近くにこんな神社があるとロマンがありますね。
ちょっと驚いたのがこれ
この神社、本殿がなく、代わりに天皇陵の拝所のような石の柵になってました( ̄□ ̄;)!!
この構造・・・もしかしたら本当に孝謙天皇が分骨されてるとか?(゚Д゚;)
後ろに摂社・末社
さらに後ろに墓石のようなもの、篠姫・笹姫の墓?
一番左以外は完全に削り取られていて読めませんでした
やはり何か都合の悪いことが書かれていたのか?(; ・`ω・´)
ちなみに昔は数百m南にこの2人の女官の墓と伝えられる塚があったそうです
神社の横にあった意味ありげな古井戸
歴史
今から千二百年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。かつて道鏡は法王として孝謙天皇(女帝)に最も厚い信任を得ていました。
女帝は配流された道鏡をあわれみ、この地にまえり病没したと伝えられていますが、女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた高級女官の篠姫・笹姫も配流されてきた。
二人は奈良の都には永久に帰ることが出来ない事を悟り、女帝の御陵より分骨をして戴き、銅製の舎利塔に納め当地にあった西光寺に安置し女帝の供養につとめた。その後西光寺は廃寺となり、村人達は舎利塔をご神体に祀り孝謙天皇神社と改めている。
(神社案内板より)
このような神社縁起が伝わっているが、史実では道鏡が配流されたのは孝謙天皇の崩御後であり、女帝が道鏡を追って下野まで来ることはあり得ない。
しかし後半部の篠姫・笹姫のように、道鏡に連座して配流された高級女官や侍女はいたと思うので、実際に女帝の遺骨を持ってきたかどうかはともかく、そういった配流譚が誇張して伝えられたものと思われる。
名称 | 孝謙天皇神社 |
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読み方 | こうけんてんのうじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》孝謙天皇 《配》御篠元女官・御笹元女官 《境内社》神明大神・八坂大神・稲荷大神・八幡大神・村上社 |
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ご神体 | 孝謙天皇の舎利塔 |
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 今から千二百年の昔、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流された。かつて道鏡は法王として孝謙天皇(女帝)に最も厚い信任を得ていました。
このような神社縁起が伝わっているが、史実では道鏡が配流されたのは孝謙天皇の崩御後であり、女帝が道鏡を追って下野まで来ることはあり得ない。
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体験 | 伝説 |
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