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須山浅間神社ではいただけません
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須山浅間神社のお参りの記録(5回目)
投稿日:2021年05月11日(火)
参拝:2021年4月吉日
久しぶりに社務所が開いてる時間に参拝ができました😊表現の仕方が分からないのですが、神職様の参拝者への心遣いがとても心地良く、境内の凛とした空気と暖かさが参拝後穏やかな気持ちになれる不思議な場所で、数ある浅間神社の中でも何度でも訪れたいと思える素敵な場所です😊
社伝によれば、日本武尊の創祀で、欽明天皇13年(552年)、曽我稲目(そがのいなめ=蘇我馬子の父/6世紀)が再興し、天元4年(961年)に平兼盛(たいらのかねもり)が修理奉納した古社。
平兼盛は天元2年(977年)8月17日、駿河守として赴任しているので、可能性としては社殿の寄進という可能性はあるかもしれません。
静岡県神社庁は、「往古富士山東口の社であったが、後に登山道の増設に伴い、南口登山道の冨士浅間の下宮として祭られた」とあります。
つまりは、須山口登山道の開設で鎮座した浅間神社ということになります。
室町時代の僧侶・道興(どうこう)が東国を回ったときの紀行文『廻国雑記』、文明18年(1486年)の項に「すはま口といふ所より冨士のふもとに至りて、雪をかき分て、よそにみし冨士の白雪けふ分ぬ 心のみちを神にまかせて」と記されているのが、最古の記録。
16世紀前半にこの地域を支配した戦国領主の武田氏は、須山浅間神社に太刀・具足・馬を奉納した際の寄進状が残されています。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、須山口登山道と須山浅間神社は甚大な被害を受けます。
社伝によれば、日本武尊の創祀で、欽明天皇13年(552年)、曽我稲目(そがのいなめ=蘇我馬子の父/6世紀)が再興し、天元4年(961年)に平兼盛(たいらのかねもり)が修理奉納した古社。
平兼盛は天元2年(977年)8月17日、駿河守として赴任しているので、可能性としては社殿の寄進という可能性はあるかもしれません。
静岡県神社庁は、「往古富士山東口の社であったが、後に登山道の増設に伴い、南口登山道の冨士浅間の下宮として祭られた」とあります。
つまりは、須山口登山道の開設で鎮座した浅間神社ということになります。
室町時代の僧侶・道興(どうこう)が東国を回ったときの紀行文『廻国雑記』、文明18年(1486年)の項に「すはま口といふ所より冨士のふもとに至りて、雪をかき分て、よそにみし冨士の白雪けふ分ぬ 心のみちを神にまかせて」と記されているのが、最古の記録。
16世紀前半にこの地域を支配した戦国領主の武田氏は、須山浅間神社に太刀・具足・馬を奉納した際の寄進状が残されています。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、須山口登山道と須山浅間神社は甚大な被害を受けます。
すてき
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