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浅間宮(鈴川の富士塚)ではいただけません
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浅間宮(鈴川の富士塚)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年05月04日(水)
(15)浅間宮(鈴川の富士塚)静岡県富士市鈴川西町13-32
御祭神 木之花咲耶姫・山神
【広報ふじ平成元年】ふるさと昔話..
鈴川の富士塚(ふじづか)
・今から約1300年ぐらい前、役の小角と呼ばれた行者がいました。
・役の行者は富士山の見える国々に富士山を拝む場所を造りました
御祭神 木之花咲耶姫・山神
【広報ふじ平成元年】ふるさと昔話..
鈴川の富士塚(ふじづか)
・今から約1300年ぐらい前、役の小角と呼ばれた行者がいました。
・役の行者は富士山の見える国々に富士山を拝む場所を造りました
(1)浅間宮(鈴川の富士塚)静岡県富士市鈴川西町13-32
JR吉原駅から徒歩7分
JR吉原駅から徒歩7分
富士市が設定した海抜0mから富士山頂(標高3776m)を目指す
全長42kmの登山ルート「富士山登山ルート3776」
の出発点にもなっています
全長42kmの登山ルート「富士山登山ルート3776」
の出発点にもなっています
では、参りましょう
「浅間宮」の石碑
この周囲は普通の民家です
この周囲は普通の民家です
(5)「鈴川の富士塚」が一般的なここの名前です
鳥居をくぐって
・手水場
・手水場
樹木の間を歩きます
まもなくです
浅間山の由来の石碑
・富士塚遺跡は北に富士山を望み、富士山信仰に関連する遺跡である
・塚は本来、自然低丘に石を積み上げたものと確認された。
・富士講成立以前、中世に成立したものと考えられる
・富士塚遺跡は北に富士山を望み、富士山信仰に関連する遺跡である
・塚は本来、自然低丘に石を積み上げたものと確認された。
・富士講成立以前、中世に成立したものと考えられる
(10)
・富士山本宮浅間大社の儀礼場とされていた
・塚が復元された昭和51年以後は、数多くの人々が訪れている
・富士山本宮浅間大社の儀礼場とされていた
・塚が復元された昭和51年以後は、数多くの人々が訪れている
神社は南向きなので、北(この方向)に富士山が見えます。(晴れていれば)
浅間宮(鈴川の富士塚)静岡県富士市鈴川西町13-32
御祭神 木之花咲耶姫・山神
・富士塚を起点として、海抜0mから富士山頂を目指した
・富士講の講者たちの禊の場だったことが明らかになった
・富士山頂(標高3776m)を目指す全長42kmの登山ルートです
御祭神 木之花咲耶姫・山神
・富士塚を起点として、海抜0mから富士山頂を目指した
・富士講の講者たちの禊の場だったことが明らかになった
・富士山頂(標高3776m)を目指す全長42kmの登山ルートです
役の行者について
修験道の開祖といわれ、伊豆大島に流されたときに、
タ方島を出て富士山に登り、朝には帰ってきたといわれます。
(今から1300年ぐらい前の伝説です)
修験道の開祖といわれ、伊豆大島に流されたときに、
タ方島を出て富士山に登り、朝には帰ってきたといわれます。
(今から1300年ぐらい前の伝説です)
浅間宮
(15)離れたところから見た、富士塚・浅間宮です
すてき
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