ほんしょうじ
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本照寺ではいただけません
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本照寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年04月29日(金)
(18)持栄山 本照寺(日蓮宗)静岡県富士市厚原489
弘安二年(1279)に「熱原法難」があった所ですが
今は熱原ではなく、厚原となっています。
弘安二年(1279)に「熱原法難」があった所ですが
今は熱原ではなく、厚原となっています。
(1)持栄山 本照寺(日蓮宗)静岡県富士市厚原489
朱印は珍しく金色です
朱印は珍しく金色です
鐘楼と山門、ここが入口です。
入山瀬駅 から徒歩20分
入山瀬駅 から徒歩20分
「熱原 本照寺」の寺号標さん
「加島法難遺蹟」の扁額さん
(揮毫は身延山79世日慈)
(揮毫は身延山79世日慈)
(5)楊門横の手水舎で清めて本堂へ
参道
持栄山 本照寺(日蓮宗)静岡県富士市厚原489
本堂です。
実相寺中老日源が、熱原法難(加島法難)の殉教者を弔うため、
弘安3年(1280年)に弟子教行阿闍梨日信に命じて、
熱原神四郎の屋敷跡に建立した。
本堂です。
実相寺中老日源が、熱原法難(加島法難)の殉教者を弔うため、
弘安3年(1280年)に弟子教行阿闍梨日信に命じて、
熱原神四郎の屋敷跡に建立した。
鐘楼 山門を本堂から見ています
本堂の扁額さん。
(10)日蓮像だと思います。
ここが、熱原法難 御廟所です。
熱原法難(あつはらほうなん)
1279年(弘安2)9月、駿河の熱原で日蓮の門弟や信者に加えられた弾圧。
日蓮の弟子日興は富士郡一帯に伝道活動を展開し、天台宗の僧侶や農民から多くの弟子や信者を獲得し、各地で他宗との抗争が起こった。
熱原法難(あつはらほうなん)
1279年(弘安2)9月、駿河の熱原で日蓮の門弟や信者に加えられた弾圧。
日蓮の弟子日興は富士郡一帯に伝道活動を展開し、天台宗の僧侶や農民から多くの弟子や信者を獲得し、各地で他宗との抗争が起こった。
弘安2年(1279)法華信徒の百姓たちを武装させて院主の坊内に打入り、また寺田の作物を勝手に刈り取ってしまった、と幕府に訴えた。
この際、信徒農民20人が捕らえられ、鎌倉に連行された。
日蓮らは無実を主張し赦免を求めた、幕府は農民たちに「念仏を唱えれば許す」と勧告した。
ところが農民たちは拒み、かつ題目を唱え続けたため、
張本人と見なされた神四郎と弥五郎、弥六郎が斬首となり、他の者は禁獄となった
この際、信徒農民20人が捕らえられ、鎌倉に連行された。
日蓮らは無実を主張し赦免を求めた、幕府は農民たちに「念仏を唱えれば許す」と勧告した。
ところが農民たちは拒み、かつ題目を唱え続けたため、
張本人と見なされた神四郎と弥五郎、弥六郎が斬首となり、他の者は禁獄となった
カヤの木です、1981年(昭和56年)に富士市の天然記念物に指定
右に寺務所、ここで御首題を戴けます。
(15)寺務所から見た境内
鐘楼 山門
品のある山門 さん
(18)本堂
一時荒廃したものの江戸初期に再興され、爾来、連綿と法燈を継承しています。
「法燈」
仏の教えを、世の闇(やみ)を照らす灯火にたとえていう語。
一時荒廃したものの江戸初期に再興され、爾来、連綿と法燈を継承しています。
「法燈」
仏の教えを、世の闇(やみ)を照らす灯火にたとえていう語。
すてき
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