ごしょじんじゃ
護所神社のお参りの記録一覧

雁金堤の中に鎮座されています
雁金堤地図の左上に鎮座されています
拝殿傍にいました
絵馬がかけられていました
どこで絵馬を頂くのかは判りませんでした
鳥居前の御神木
雁金堤の人柱の碑
人柱供養塔

(20)護所神社_静岡県富士市松岡1580-2
守護神 は 人柱
今から300年ほど前の 悲しい物語
(1)護所神社_静岡県富士市松岡1580-2
右側に公会堂
左のいしだんを上がって護所神社があります。
護所神社の全景 (雁堤(かりがねづつみ)の南東角 )
江戸時代の初め、富士川治水のために築かれた雁堤は、
50年余りかかる難工事で、人柱伝説も生まれました。
護所神社には、人柱の供養塔と記念碑が建立されています。
石段横のお地蔵さん
(5)御神木
御神木と護所神社入口
絵馬もあります。
現地説明板より
「古郡孫太夫重政公父子の偉業雁堤の築造は、繰り返す富士川の洪水で、しばしば欠潰流失の惨害を蒙るため、衆人は人柱の説ををとり千人目の旅人を生きながら護岸の人柱とすることにきめた。
人柱 供養塔
千人目に当った旅僧はこれを快諾し、従容として人柱と化した。
以来三百余年の今日まで遂に堤防の欠潰を見ず、住民はその徳を慕い
「護所神社」としてその霊を祭っている。
(10)狛犬さん
後ろに富士山が見えます。
狛犬さん
護所神社
静岡県富士市松岡1580-2
守護神 人柱
社殿からみえる景色です
護所神社へのお参りを終えて、石段からに上がり
堤防に向かいます。
(15)古郡氏の偉業を称える 石碑
雁堤は、下総国椿沼の開発経験をもつ鉄牛の技術や、甲斐国・信玄堤の構造などを参考に改良が重ねられ、
着工から50余年後に完成。以来、富士川東岸の治水要として機能、富士市域の発展を支えてきた。
松崎鉄之介 句
秋富士へ 雁堤 つばさ張る
人の世に命ささげし 人柱 今に佇えて富士のカりかね
雁堤(かりがねづつみ)の公園です。
---雁堤の守護神----
今から300年ほど前の秋のこと。
岩淵の渡しから富士川を渡ってきた巡礼姿の老夫婦がいました。
富士川の氾濫を防ぐために堤防を築いているが、たびたび決壊する
富士川を渡ってくる千人目の者を人柱に立てて河流を鎮めることとなった
これを聞いた夫婦は、東国巡礼を終えたら人柱になると約束し、3ヶ月後に戻ってきた。
(20)夫は白木の棺に入れられ、堤が最も破れやすい箇所の地中に埋められた。
棺に入った巡礼の読経の声と鉦の音が、21日間地中から響いていたといいます。
以来、現在まで巡礼の魂はこの提をまもっており、里人はこの巡礼を神様と崇め、護所神社の祀っています。
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