さいふくじ|時宗|高源山
西福寺の編集履歴
緯度
35.122847744880445
編集前:35.12250770000001
経度
138.91570122883607
編集前:138.9156905
ふりがな
さいふくじ
ご由緒
時宗の開祖一遍は「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽往生できると説いて諸国を遊行し、広く人々から尊敬されました。この寺はその弟子通天によって延慶2年(1309)に建てられたと言われています。
「弘安5年(1282)一遍が三嶋大社を訪れた」と国宝「一遍聖絵」に記されています。
いつも-遍には40~50人の信者が同行していましたが、そのうち7~8人が同時に往生しこの地に葬られました。
後に西福寺が建てられ、現在もその墓があります。
南北朝時代の南朝の亀山天皇、第7子常盤井恒明親王の皇子と伝えられる尊観法親王が、この寺の第6代目の住職となり、元中4年(1387)遊行上人になりました。
このため「菊の紋章」が、現在も庫裏の玄関と、親王の御持仏と伝えられる本堂の成就地蔵の台座に飾られています。
編集前:時宗の開祖一遍は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えれば極楽往生(ごうくらくおうじょう)できると説いて諸国を遊行(ゆぎょう)し、広く人々から尊敬されました。この寺はその弟子通天(つうてん)によって延慶(えんきょう)2年(1309)に建てられたと言われています。「弘安5年(1282)一遍が三嶋大社を訪れた」と国宝「一遍聖絵(いっぺんひじりえ)」に記されています。いつも-遍には40~50人の信者が同行していましたが、そのうち7~8人が同時に往生しこの地に葬られました。後に西福寺が建てられ、現在もその墓があります。
南北朝時代の南朝の亀山天皇、第7子常盤井恒明親王(ときわいつねあきしんのう)の皇子と伝えられる尊観法親王(そんかんほうしんのう)が、この寺の第6代目の住職となり、元中4年(1387)遊行上人になりました。このため「菊の紋章」が、現在も庫裏の玄関と、親王の御持仏(ごじぶつ)と伝えられる本堂の成就地蔵の台座に飾られています。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
見所
三島大社の社殿の真西約三百メートルに位置し、白滝公園から桜川沿いに百メートル程南下した地点で、白雪橋を渡った奥にある。
時宗の開祖一遍は「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽往生できると説いて諸国を遊行(ゆぎょう)し、広く人々から尊敬された。この寺はその弟子通天(つうてん)によって延慶(えんきょう)2年(1309)に建てられたと言われている。
アクセス
伊豆箱根鉄道駿豆線 三島広小路駅から0.6km
駐車場
あり
御朱印
あり
参拝所要時間
約15分
山号
高源山
創立
延慶2年(1309)に建てられたと言われている。
創始者/開山・開基
通天
本殿/本堂の建築様式
銅板丸瓦棒葺き、入母屋造り屋根平入り、流れ向拝。
巡礼
成就地蔵尊(駿河一国 百地蔵尊第九十七番)
行事
地蔵尊の縁日は七月二三、二四日
施餓鬼会
二月一五日頃に涅槃会