そうとくいん|曹洞宗|龍泰山
宗徳院の編集履歴
ふりがな
そうとくいん
ご由緒
この寺は延喜元年(901)ごろ、弘法大師(空海)が当地に霊夢(注)を感じて、延命地蔵菩薩を本尊とした堂一宇を建立したのが始まりです。当時、伊豆88カ所霊場の第18番として巡礼が多く、平成12年(2000)現在も、本尊の横に弘法大師の木像が安置されています。
源頼朝が永暦元年(1160)3月、蛭ヶ小島に配流されてから、治承4年(1180)伊豆に挙兵するまで、100日間の祈願を立て、三嶋大社に日参するとともに、この寺の本尊、延命地蔵菩薩を旗挙げの祈願仏として日夜詣でました。本尊の横に源頼朝の木像、参道に祠があります。
その後、天正(1573~1592)の初期、甲斐武田の残党道乗、道吉の2人が当地に住み、土地開拓に専念していましたが、追手が来ることを知り、当寺の境内で相自刃しました。墓地入り口に道乗、道吉の墓があります。
村人たちは2人の菩提を弔うことと、荒廃する当寺を復興することを、韮山村南條の昌渓院第6世麒庵東麟禅師に懇請し、同禅師が開山となり、寺を曹洞宗に改め、現在に至っています。
(注) 神仏のお告げがある不思議な夢
編集前:この寺は延喜(えんぎ)元年(901)ごろ、弘法大師(こうぼうだいし)(空海)(くうかい)が当地に霊夢(れいむ)(注)を感じて、延命地蔵菩薩(えんめいじぞうぼさつ)を本尊とした堂一宇(いちう)を建立したのが始まりです。当時、伊豆88カ所霊場の第18番として巡礼が多く、平成12年(2000)現在も、本尊の横に弘法大師(こうぼうだいし)の木像が安置されています。
源頼朝が永暦(えいりゃく)元年(1160)3月、蛭ヶ小島(ひるがこじま)に配流されてから、治承(じしょう)4年(1180)伊豆に挙兵するまで、100日間の祈願を立て、三嶋大社に日参するとともに、この寺の本尊、延命地蔵菩薩を旗挙げの祈願仏として日夜詣(もう)でました。本尊の横に源頼朝の木像、参道に祠(ほこら)があります。
その後、天正(てんしょう)(1573~1592)の初期、甲斐(かい)武田の残党道乗(どうじょう)、道吉(どうきち)の2人が当地に住み、土地開拓に専念していましたが、追手が来ることを知り、当寺の境内で相自刃(あいじじん)しました。墓地入り口に道乗、道吉の墓があります。
村人たちは2人の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うことと、荒廃(こうはい)する当寺を復興することを、韮山村南條の昌渓院(しょうけいいん)第6世麒庵東麟(きあんとうりん)禅師(ぜんじ)に懇請(こんじょう)し、同禅師が開山(かいさん)となり、寺を曹洞宗(そうとうしゅう)に改め、現在に至っています。
(注) 神仏のお告げがある不思議な夢
ご祭神/ご本尊
延命地蔵菩薩
見所
源頼朝ゆかりの宗徳院
延暦年間に弘法大師により開かれたとされる曹洞宗寺院。
本尊横には、弘法大師木像と、寺にゆかりのある源頼朝の木像が置かれている。
御朱印
あり
山号
龍泰山
創立
延暦年間(901~902年)。
創始者/開山・開基
空海によって創建されました
巡礼
伊豆八十八ヶ所霊場 第18番札所