ほっけじ|曹洞宗|三島山
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法華寺の編集履歴
2022年07月08日 00時00分
ふりがな
ほっけじ
ご由緒
この寺の宗派は曹洞宗で、奈良時代に建てられた大寺院「大興寺」(だいこうじ)の跡だと言われています。大興寺が代用「国分尼寺」となり、国分尼寺は「法華滅罪之寺」と言われたことから法華寺の名が残りました。
源頼朝と関係の深い寺で、現在境内に頼朝の腰掛け石、頼朝の衣掛(きぬか)け松、頼朝の経塚(きょうづか)などが残っています。三島をよく往来した頼朝は源氏の旗挙げ成就(じょうじゅ)をこの寺にも祈願し、写経を奉納したと言われています。現在、経塚跡には地蔵尊が安置されています。
また、古くから、この寺と三嶋大社との関係は深く、昭和20年(1945)の終戦まで、毎年元旦に、この寺の住職が三嶋大社の神殿に昇り、読経し天下泰平を祈祷(きとう)した、と伝えられています。
編集前:この寺の宗派は曹洞宗で、奈良時代に建てられた大寺院「大興寺」(だいこうじ)の跡だと言われています。大興寺が代用「国分尼寺」となり、国分尼寺は「法華滅罪之寺」と言われたことから法華寺の名が残りました。
源頼朝と関係の深い寺で、現在境内に頼朝の腰掛け石、頼朝の衣掛(きぬか)け松、頼朝の経塚(きょうづか)などが残っています。三島をよく往来した頼朝は源氏の旗挙げ成就(じょうじゅ)をこの寺にも祈願し、写経を奉納したと言われています。現在、経塚跡には地蔵尊が安置されています。
また、古くから、この寺と三嶋大社との関係は深く、昭和20年(1945)の終戦まで、毎年元旦に、この寺の住職が三嶋大社の神殿に昇り、読経し天下泰平を祈祷(きとう)した、と伝えられています。
ご祭神/ご本尊
阿弥陀如来
山号
三島山
巡礼
東海八十八ケ所霊場第76番札所
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