ゆうせんじ|臨済宗大徳寺派|松井山
祐泉寺の編集履歴
ふりがな
ゆうせんじ
ご由緒
この寺は奈良時代の初めに建立された大寺院で代用国分尼寺となった大興寺(だいこうじ)の伽藍跡(がらんあと)に、その一部を境内として後世建てられたものです。寺伝によると、臨済宗大徳寺派(りんざいしゅうだいとくじは)の寺で梅隠宗香禅師(ばいいんそうこうぜんじ)により、永禄11年(1568)に開山されました。
本堂正面右側に直径2mにも及ぶ大きな石が、大切に保管されています。この付近を調査発掘した結果白鳳時代(はくほうじだい)(注)に建てられた薬師寺式伽藍配置を持った寺の塔心礎(塔の中心柱の礎石)であることが分かりました。この塔心礎はこの時代の典型的なものであり、大興寺の西の塔心礎と推定され、当時の建築様式を知る上で大変貴重なものです。現在、三島市の指定文化財考古資料となっています。この寺の奥まった墓地の中に北条早雲の第3子、長綱(幻庵げんあん)の子北条氏信の墓がひっそりと苔むしています。
編集前:この寺は奈良時代の初めに建立された大寺院で代用国分尼寺となった大興寺(だいこうじ)の伽藍跡(がらんあと)に、その一部を境内として後世建てられたものです。寺伝によると、臨済宗大徳寺派(りんざいしゅうだいとくじは)の寺で梅隠宗香禅師(ばいいんそうこうぜんじ)により、永禄11年(1568)に開山されました。
本堂正面右側に直径2mにも及ぶ大きな石が、大切に保管されています。この付近を調査発掘した結果白鳳時代(はくほうじだい)(注)に建てられた薬師寺式伽藍配置を持った寺の塔心礎(塔の中心柱の礎石)であることが分かりました。この塔心礎はこの時代の典型的なものであり、大興寺の西の塔心礎と推定され、当時の建築様式を知る上で大変貴重なものです。現在、三島市の指定文化財考古資料となっています。この寺の奥まった墓地の中に北条早雲の第3子、長綱(幻庵げんあん)の子北条氏信の墓がひっそりと苔むしています。
(注) 飛鳥時代と天平時代の中間(7世紀後半から8世紀初頭まで)
ご祭神/ご本尊
聖観世音菩薩
見所
当初は大興寺(市ケ原廃寺)と称していましたが、斉衡2年(855)に官寺に昇格したことで定額寺に改称、さらに仁和元年(885)、伊豆国分尼寺と同格、又は代替となったことで寺運が隆盛し、境内は現在の薬師寺と同等のものが建てられたされ中門,金堂、講堂、東西の塔が軒を連ねていたと推定されています。
アクセス
最寄り駅は三島田町駅です
駐車場
あります
御朱印
あり
山号
松井山
創立
西暦1567年(永禄10年)
創始者/開山・開基
開基 北条新三郎氏信(北条早雲孫)開山 梅隠宗香禅師