こうあんじ|時宗|南朝山
光安寺の編集履歴
緯度
35.121722668270465
編集前:35.1214967
経度
138.9227395263199
編集前:138.9231204
ふりがな
こうあんじ
通称
お地蔵さんの寺
ご由緒
この寺は、延慶元年(1308)に一遍上人の高弟真教上人に但阿宥弁和尚が帰依し、もと真言宗と思われる寺を時宗に改宗し、現在に至っています。
本尊の地蔵菩薩は、左手に宝珠を持ち、右手に錫杖をとり、左足を前方にやや外して座しています。この造形は南北朝時代(1336~1392)ころのものと言われ、時宗寺院で祀る最古に近い地蔵菩薩像であり、市の指定文化財にもなっています。
明治のころ、「駿河百地蔵尊巡拝」という信心参りが、盛んに行われました。この「駿河百地蔵尊」の最後の札所が、光安寺の鼻取り地蔵尊でした。これを含め三島では次の地蔵尊が百体の仲間入りをしています。
第96番 蓮馨寺の日限地蔵尊(広小路)
第97番 西福寺の成就地蔵尊(大宮町)
第98番 田福寺の子安地蔵尊(谷田)
第99番 法華寺の言成地蔵尊(東本町)
第100番 光安寺の鼻取り地蔵尊(日の出町)
駿河の国ではないのにこの5つの地蔵尊の仲間入りは、三島の地蔵尊がそれぞれ御利益も高く、有名であったからと考えられます。
編集前:この寺は、延慶(えんきょう)元年(1308)に一遍(いっぺん)上人の高弟真教(しんぎょう)上人に但阿宥弁和尚(たんあゆうべんおしょう)が帰依(きえ)し、もと真言宗と思われる寺を時宗に改宗し、現在に至っています。本尊の地蔵菩薩は、左手に宝珠(ほうじゅ)を持ち、右手に錫杖(しゃくじょう)をとり、左足を前方にやや外して座しています。この造形は南北朝時代(1336~1392)ころのものと言われ、時宗寺院で祀る最古に近い地蔵菩薩像であり、市の指定文化財にもなっています。
明治のころ、「駿河百地蔵尊巡拝」という信心参りが、盛んに行われました。この「駿河百地蔵尊」の最後の札所が、光安寺の鼻取り地蔵尊でした。これを含め三島では次の地蔵尊が百体の仲間入りをしています。
第96番 蓮馨寺(れんけいじ)の日限(ひぎり)地蔵尊(広小路)
第97番 西福寺(さいふくじ)の成就(じょうしゅ)地蔵尊(大宮町)
第98番 田福寺(でんぷくじ)の子安(こやす)地蔵尊(谷田)
第99番 法華寺(ほっけじ)の言成(いいなり)地蔵尊(東本町)
第100番 光安寺の鼻取(はなと)り地蔵尊(日の出町)
駿河の国ではないのにこの5つの地蔵尊の仲間入りは、三島の地蔵尊がそれぞれ御利益(ごりやく)も高く、有名であったからと考えられます。
ご祭神/ご本尊
地蔵菩薩
見所
光安寺には板碑(いたび)という青石の碑もあり、本堂の中に、拓本と合わせて置かれています。
鼻取り地蔵 の伝説
鼻取りとは・・・牛馬を使って田畑を耕す時、牛馬の鼻をとって誘導する事。
アクセス
最寄りの駅は三島田町(伊豆箱根鉄道駿豆線)です。駅からは徒歩12分のところにあります。
御朱印
あり
参拝所要時間
約15分
山号
南朝山
創立
延慶元年(1308年)
巡礼
駿河一国百地蔵菩薩霊場】百ヶ所目のお寺
文化財
<光安寺の板碑>市の文化財