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2022年01月14日(金) 18時56分 by霧の川

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ふりがな
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やくしいん
ご由緒
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この寺の宗派は真言宗で開山(かいさん)は不祥ですが、明暦(めいれき)年間(1655~1658)尊誉(そんよ)上人を中興(注1)の祖師(そし)としています。寺伝によると弘法大師(こうぼうだいし)(空海)(774~835)が,修善寺の独鈷(とっこ)の湯を発見の途中、この薬師院に留(とど)まったと言われ、本堂左手に弘法大師坐像が安置されています。また、その傍に弘法大師が座したと伝えられる「こしかけ石」があります。
 昔、竹林寺小路(ちくりんじこうじ)にあった「竹林寺」という寺が応永年間(1394~1427)にここに移り、楊林山薬師院と号しました。元は、愛染院(あいぜんいん)の末寺(まつじ)でしたが、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)(注2)によって、本山愛染院が廃寺となったので、これを引き継ぎ、真言宗高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の末寺となりました。また、大正初期にはすぐ西隣にあった観法寺(かんぽうじ)という寺を合併し、現在に至っています。したがって薬師院本尊の薬師如来(やくしにょらい)、観法寺本尊の観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)、愛染院の護摩本尊不動明王(ごまほんぞんふどうみょうおう)の3体を祀(まつ)っています。

(注1)いったん衰えた事を再び盛んにすること。また、その人
(注2)仏法を廃し、釈尊(しゃくそん)(おしゃかさま)の教えを棄却すること。 慶応4年(1868)3月神仏分離令が出され、これに伴って神社と仏寺との間に争いが起こり、さらに寺院・仏具・経文などの破壊運動が起った。
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この寺の宗派は真言宗で開山は不祥ですが、明暦年間(1655~1658)尊誉上人を中興の祖師としています。

寺伝によると弘法大師(空海)(774~835)が,修善寺の独鈷(とっこ)の湯を発見の途中、この薬師院に留(とど)まったと言われ、本堂左手に弘法大師坐像が安置されています。

また、その傍に弘法大師が座したと伝えられる「こしかけ石」があります。

 昔、竹林寺小路にあった「竹林寺」という寺が応永年間(1394~1427)にここに移り、楊林山薬師院と号しました。

元は、愛染院の末寺でしたが、明治維新の廃仏毀釈によって、本山愛染院が廃寺となったので、これを引き継ぎ、真言宗高野山金剛峯寺の末寺となりました。

また、大正初期にはすぐ西隣にあった観法寺という寺を合併し、現在に至っています。

したがって薬師院本尊の薬師如来、観法寺本尊の観世音菩薩、愛染院の護摩本尊不動明王の3体を祀っています。
ご祭神/ご本尊
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薬師院本尊の薬師如来、
観法寺本尊の観世音菩薩、
愛染院の護摩本尊不動明王
見所
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静岡県三島市にある真言宗寺院。開山は不祥だが、「伊豆国分寺」焼失後に、伊豆の国府の役寺になっていたとされる寺で、江戸時代の尊誉上人を中興の祖と仰ぐ。また弘法大師 空海の旧跡としても知られ、修善寺へ向かう途中に空海が立ち寄ったとされ、境内には弘法大師坐像の他、大師が座ったとされる「こしかけ石」がある。現在の鉄筋コンクリート造の本堂・客殿・庫裡などの伽藍は、1975年に造られたもの。
アクセス
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三島田町駅 から徒歩8分
最寄りの駅は三島田町(伊豆箱根鉄道駿豆線)です。駅からは徒歩13分のところにあります
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駐車場
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あり
御朱印
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トイレ
参拝所要時間
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約15分
参拝料
山号
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楊林山
院号
創立
創始者/開山・開基
本殿/本堂の建築様式
巡礼
行事
文化財
ご神体
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