御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

くのうざんとうしょうぐう

久能山東照宮の編集履歴
2022年11月22日(火)
静岡県 県立美術館前駅

シンくんさんのプロフィール画像
シンくん
2022年11月22日 20時48分

ご由緒

久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。
徳川家康公は、天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にお生まれになり、あらゆる艱難辛苦の末、戦乱の世に終止符を打ち、江戸時代260余年にわたる世界に其の比を見ない「泰平の世」の礎を築かれ、学問、産業、文化の基礎を確立し近世日本の発展に偉大な功績を残されました。
晩年は大御所として駿府城に在りましたが、元和2年(1616年)4月17日、波乱に満ちた75年の生涯を閉じられました。
徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。

編集前:久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀です。
徳川家康公は、天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にお生まれになり、あらゆる艱難辛苦の末、戦乱の世に終止符を打ち、江戸時代260余年にわたる世界に其の比を見ない「泰平の世」の礎を築かれ、学問、産業、文化の基礎を確立し近世日本の発展に偉大な功績を残されました。
晩年は大御所として駿府城に在りましたが、元和2年(1616年)4月17日、波乱に満ちた75年の生涯を閉じられました。
徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)との遺言を残されました。
この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。

見所

限定御朱印も季節によって頒布有り。

文化財

社殿(国宝)
楼門、神厩、鼓楼、神饌所、神饌所、神庫、日枝神社、唐門、玉垣、廟門、廟所参道、神廟(重要文化財)

編集前:社殿(国宝)
楼門、神厩、鼓楼、神饌所、神饌所、神庫、日枝神社、唐門、玉垣、廟門、廟所参道、神廟(重要文化財)

御朱印の説明

真ん中に久能山東照宮と書かれ、右下に駿河國久能山、真ん中に久能山東照宮の印が押されています。
杉の木を使用した御祭神徳川家康公にまつわる金の成る木御朱印もいただけます。暗いところで光る特別夜間拝観「竹あかり」限定御朱印も。

編集前:真ん中に久能山東照宮と書かれ、右下に駿河國久能山、真ん中に久能山東照宮の印が押されています。
杉の木を使用した御祭神徳川家康公にまつわる金の成る木御朱印もいただけます。暗いところで光る特別夜間拝観「竹あかり」限定御朱印も。

ログインすると情報を追加/編集できます。