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ながはまじんじゃ

長浜神社の御由緒・歴史
島根県 出雲神西駅

ご祭神《主》八束水臣津野命,《配》布帝耳命,淤美豆奴命
創建時代710年(和銅3年)以前
ご由緒

国土生成の神であり、「出雲国」という国号の命名者である八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)を祀る当社は、社号にも「出雲」を冠し「出雲社(いずものやしろ)」「出雲神社(いずもじんじゃ)」などと称していました。
古文書に「和銅三年菊月八日二時ノ帝ヨリ出雲国神門郡照浄山南方水海西出雲御社ト勅諚成テ廣太照光妙見トナン給シ~云々~」とあり、創立は和銅三年(710)以前で、後に妙見信仰が浸透したことがわかります。
中世以降は「妙見社(みょうけんしゃ)」・「妙見大社」などと呼ばれ、明治以降は「長浜神社」となり今に至ります。
かつては肥後の八代妙見・山城の家苗妙見と並び日本三大妙見と称されるほど霊験あらたかで知られました。また、豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)の際の百日祈願でも知られています。
加藤清正(かとうきよまさ)や片桐且元(かたぎりかつもと)・福島正則といった名だたる武将の参拝があり、その折の「弓掛(ゆみかけ)の松」が境内にあります。
緒戦の連勝連勝に太閤いたく喜び、桐の神紋をはじめ恩賞を授かっています。この頃から「武道・スポーツ上達の守り神」のみならず「勝負に勝つ神」として広く信仰を集めるようになりました。
江戸時代には、大梶七兵衛の開拓に先行して、社家の秦重成(はだしげなり)・喜兵衛(きべえ)の兄弟による私財をなげうっての海岸の砂防植栽と神門水海(かんどのみずうみ)干拓事業が、近世の国引きとして地域開発の歴史の一頁を彩ります。戦前の社格は県社で、現在は島根県特別神社に指定されています。

歴史
歴史[編集] 『出雲国風土記』出雲郡条に記載の「出雲社」、延喜式神名帳記載の「出雲神社」に比定する説がある[1]。しかし長浜神社の鎮座する地域は明らかに神門郡の領域である。 中世から近世にかけては「妙見社」「薗村妙見神社」などと呼ばれた。明治5年(1872年)に現在の社名となった。 延宝3年(1675年)に社殿が焼失し、松江藩主松平綱近の命によって造営された。 ^ 千家俊信『出雲国式社考』など
引用元情報長浜神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E6%B5%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102199201

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