くまのたいしゃ
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熊野大社ではいただけません
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熊野大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月14日(月)
参拝:2024年9月吉日
玉作湯神社に続いて 少し山間になりますが熊野大社にお参りしました。
集落は熊野大社を中心に山間に開けていました。民家の数はそう多くないと思いました。
温泉もある「ゆうあい熊野館」が駐車場横にあり おそらくは参拝者の宿泊施設として建てられたのだと思います。
広い駐車場を通り抜け 意宇川に架かる神橋を渡り 三の鳥居と隋神門をくぐると境内です。
拝殿にかかる大注連縄は 出雲大社ほどではないのですがとても太くて立派です。
島根県ではこれが通常モードなのでしょうか。素晴らしいと思いました。
この日は参拝客がほとんどなく 立派な社殿をのんびり見て回ることができました。
狛犬が他の地域と少し違う気がしました。威嚇しているのか 頭を下げ尾を高く上げています。
摂末社も複数あり どれも立派でした。松江に勧請されたとはいえ さすが熊野大社です。
御祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命です。
祭神名の「伊邪那伎日真名子」は「イザナギが可愛がる御子」の意 「加夫呂伎」は「神聖な祖神」の意としています。
「熊野大神」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり 実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになります。
「クシ」は「奇」 「ミケ」は「御食」の意で 食物神と解する説が通説だそうです。
歴史については
国史では 「熊野神」の神階が仁寿元年(851年)に従三位 天安3年(859年)1月に正三位 貞観元年(859年)5月に従二位勲七等 貞観9年に正二位勲七等にそれぞれ昇叙された旨が記されている。
中世には熊野信仰の影響を受けて「上の宮(熊野三社)」と「下の宮(伊勢宮)」に分かれた。
近代社格制度のもとで神社名を「熊野神社」として1871年に列格した。
1977年に上古の名前を回復する形で現在の熊野大社と改称した。
とありました。
神社については勉強不足すぎてよく分かりません。
集落は熊野大社を中心に山間に開けていました。民家の数はそう多くないと思いました。
温泉もある「ゆうあい熊野館」が駐車場横にあり おそらくは参拝者の宿泊施設として建てられたのだと思います。
広い駐車場を通り抜け 意宇川に架かる神橋を渡り 三の鳥居と隋神門をくぐると境内です。
拝殿にかかる大注連縄は 出雲大社ほどではないのですがとても太くて立派です。
島根県ではこれが通常モードなのでしょうか。素晴らしいと思いました。
この日は参拝客がほとんどなく 立派な社殿をのんびり見て回ることができました。
狛犬が他の地域と少し違う気がしました。威嚇しているのか 頭を下げ尾を高く上げています。
摂末社も複数あり どれも立派でした。松江に勧請されたとはいえ さすが熊野大社です。
御祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命です。
祭神名の「伊邪那伎日真名子」は「イザナギが可愛がる御子」の意 「加夫呂伎」は「神聖な祖神」の意としています。
「熊野大神」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり 実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになります。
「クシ」は「奇」 「ミケ」は「御食」の意で 食物神と解する説が通説だそうです。
歴史については
国史では 「熊野神」の神階が仁寿元年(851年)に従三位 天安3年(859年)1月に正三位 貞観元年(859年)5月に従二位勲七等 貞観9年に正二位勲七等にそれぞれ昇叙された旨が記されている。
中世には熊野信仰の影響を受けて「上の宮(熊野三社)」と「下の宮(伊勢宮)」に分かれた。
近代社格制度のもとで神社名を「熊野神社」として1871年に列格した。
1977年に上古の名前を回復する形で現在の熊野大社と改称した。
とありました。
神社については勉強不足すぎてよく分かりません。
一の鳥居
ずいぶん古い狛犬さん
松並木
二の鳥居
由緒書
神橋
意宇川
三の鳥居
手水舎
境内案内図
またまた古い狛犬さん
隋神門
拝殿
内陣
舞殿
環翠亭
竹島について書かれていました
神話の絵
稲田神社
由緒書
祠
本殿
伊邪那美神社
由緒書
本殿
荒神社
稲荷神社の鳥居
祠
鑽火殿
由緒書
内陣
斎館
社務所
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2021投稿
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