おきじんじゃ
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楽しみ方隠岐神社のお参りの記録一覧

【隠岐神社(おきじんじゃ)】
隠岐神社は、島根県隠岐郡海士町、島前の中ノ島に鎮座します。承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐へご配流となり、崩御するまでの19年間を中ノ島で過ごしました。後鳥羽上皇を祀る隠岐神社は、1940(昭和15)年の紀元二千六百年記念行事の一つとして、島根県により神社の創建が始まり、後鳥羽上皇の崩御700年に合わせ、1939(昭和14)年に完成しています。
-祭神ー
①後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)…第82代 天皇。

【鳥居】

【社号標】

【鳥居】

【鳥居 扁額】

【参道】

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】


【手水舎】


【神門】


【神門から見る拝殿】

【拝殿】




【振り返って見る神門】



【本殿】

【社殿】

【石碑】
刀剣も嗜んでいたという後鳥羽上皇に奉納された刀剣を打った人間国宝・月山貞一の石碑。

【タカサゴユリ】

【行在所跡(あんざいしょあと)へ】


【行在所跡】




【後鳥羽天皇火葬塚 入口】

【後鳥羽天皇火葬塚】


【御朱印】
後鳥羽上皇御祭神「隠岐神社」
海士島線沿い、すぐ近くに海士町役場。バス停前。
鳥居横に広い駐車場有。
隠岐神社の石標の横に由緒板。大きな鳥居を潜って緩やかな坂道の広い参道や階段を進んで山門、拝殿。広い。
山門の横から山道みたいな道を進むと「後鳥羽上皇行在所跡」の石標や「後鳥羽天皇御火葬塚」「綱掛けの松」が出てきて海士島線沿いに戻ってくる。
神社前に後鳥羽院資料館。
静寂な神社って感じ。
中ノ島は後鳥羽天皇が隠岐へ配流され19年間過ごした地。
崩御700年記念として、行在所であったとされる源福寺の跡と崩御後遺骨の一部と遺灰が収められる塚の近くである当地に創建。














ここは日本海に浮かぶ島、隠岐の島。そんな島に宮内庁管轄の場所があるのです。それが海士(あま)町の隠岐神社。
流刑の地であった隠岐の島には後醍醐天皇や後鳥羽上皇がいます。後醍醐天皇はその後隠岐を脱出して南北朝時代を築きますが、後鳥羽上皇はそのまま隠岐の島で没します。
よってここは御火葬場でもあり、上皇が最後まで住んだ場所として宮内庁管轄になっているのです。
すぐ隣には「村上家」という代々墓守を続けている家もあります。
隠岐の島でも小さい島からなる「島前(どうぜん)」に位置する神社なので、かなりハードルは高いです。しかし宮内庁の敷地内に自由に出入りできる貴重な神社であるとも言えます。
隠岐の島は流刑の地ではありましたが罪人はやってきておらず、天皇家など位の高い人がやってきていました。天皇・上皇は島では大変丁寧なもてなしを受けていたようですが、やはりその没落につらい日々を送っていました。島の人たちは天皇を楽しませるために舞を踊ったり牛突きを行ったりしていたようです。
後鳥羽上皇は和歌の達人でもあったので、あちこちに句碑が残っています。
御火葬場。遠目からの撮影、近づくことはできません。
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