おきじんじゃ
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隠岐神社ではいただけません
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隠岐神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年06月28日(水)
ここは日本海に浮かぶ島、隠岐の島。そんな島に宮内庁管轄の場所があるのです。それが海士(あま)町の隠岐神社。
流刑の地であった隠岐の島には後醍醐天皇や後鳥羽上皇がいます。後醍醐天皇はその後隠岐を脱出して南北朝時代を築きますが、後鳥羽上皇はそのまま隠岐の島で没します。
よってここは御火葬場でもあり、上皇が最後まで住んだ場所として宮内庁管轄になっているのです。
すぐ隣には「村上家」という代々墓守を続けている家もあります。
隠岐の島でも小さい島からなる「島前(どうぜん)」に位置する神社なので、かなりハードルは高いです。しかし宮内庁の敷地内に自由に出入りできる貴重な神社であるとも言えます。
隠岐の島は流刑の地ではありましたが罪人はやってきておらず、天皇家など位の高い人がやってきていました。天皇・上皇は島では大変丁寧なもてなしを受けていたようですが、やはりその没落につらい日々を送っていました。島の人たちは天皇を楽しませるために舞を踊ったり牛突きを行ったりしていたようです。
後鳥羽上皇は和歌の達人でもあったので、あちこちに句碑が残っています。
流刑の地であった隠岐の島には後醍醐天皇や後鳥羽上皇がいます。後醍醐天皇はその後隠岐を脱出して南北朝時代を築きますが、後鳥羽上皇はそのまま隠岐の島で没します。
よってここは御火葬場でもあり、上皇が最後まで住んだ場所として宮内庁管轄になっているのです。
すぐ隣には「村上家」という代々墓守を続けている家もあります。
隠岐の島でも小さい島からなる「島前(どうぜん)」に位置する神社なので、かなりハードルは高いです。しかし宮内庁の敷地内に自由に出入りできる貴重な神社であるとも言えます。
隠岐の島は流刑の地ではありましたが罪人はやってきておらず、天皇家など位の高い人がやってきていました。天皇・上皇は島では大変丁寧なもてなしを受けていたようですが、やはりその没落につらい日々を送っていました。島の人たちは天皇を楽しませるために舞を踊ったり牛突きを行ったりしていたようです。
後鳥羽上皇は和歌の達人でもあったので、あちこちに句碑が残っています。
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