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2021年09月22日(水) 00時04分 byこうちゃん

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ふりがな
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しんぎょうじ
通称
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聖徳太子ゆかりの寺
ご由緒
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信楽寺と書いて(しんぎょうじ)と読みます。浄土宗のお寺です。総本山は京都の知恩院、大本山増上寺も浄土宗です。その増上寺が徳川家康公の菩提寺であるように、松江城の松平家と浄土宗との関係は深いものがありました。もともと広瀬町にあった信楽寺を移城の際にこの場所に構えられたのには、戦略上の意味が有りました。今でも入り口は狭く表の竪町の通りから見過ごしてしまいそうですが、それにも敵に一気に攻め込まれ無いように、中に入ると広々と多くの侍を待機できるようにとの意味があり、お城を守る為の最前線基地の意味もあったはずです。織田信長の四天王の家来の1人、瀧川左近一益の墓と伝わる瀧川もありますが、実際には一益の嫡男一忠の墓であるとの説もあります。その他、香西茂左衛門の墓、藩の典医をつとめた堀東風の墓、7代殿様不昧公の寵愛をうけ、漆壺斉(しっこうさい)の号を頂かれた小島清兵衛の墓などあります。どうぞお参りください。
電話番号
編集前
0852-21-1589
編集後
0852211589
メールアドレス
ご祭神/ご本尊
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本堂 阿弥陀如来
太子堂 聖徳太子孝養像
URL
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https://shingyouji.fun
見所
アクセス
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山陰線松江駅より徒歩10分
参拝時間
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お参り、御朱印、可能時間
午前9時から午後4時まで(通年)
Introduction
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信楽寺(しんぎょうじ)とはなかなか読めない上に表通り(竪町)から中に入り、分かりにい場所です。そもそも戦があった時に入り口はせまく、中に入れば沢山の侍を待機させる意味もあり、お城を守る最前線の要塞でもありました。浄土宗は徳川家の菩提寺増上寺であるように、松平家との関係は特に深くあります。その長い歴史の間には三度の大火にあい、その歴史を留める物はほとんど無く、最後の大火を免れたのは山門のみであります。それもあって先代が約50年前に本堂を鉄筋コンクにしたのも納得できます。永代納骨供養塔など現在の複雑な家庭環境のニーズに合わせた施設もあります。どうぞ一度お参りください。
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駐車場
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充分余裕がございます。
御朱印
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true
御朱印帳
トイレ
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トイレあります。お尋ね下さい。
参拝所要時間
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15分
参拝料
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なし
山号
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獨留山
院号
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至心院
創立
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慶長年間
創始者/開山・開基
編集後
楽蓮社信誉慧伝和尚
本殿/本堂の建築様式
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約50年になる鉄筋コンクリート本堂
巡礼
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松江33番観音霊場札所の27番霊場
行事
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1月第3日曜日 新年会
春分の日 春彼岸会
7月22~25日 聖徳太子祭
8月4日 盆施餓鬼法要
8月23,24日 地蔵盆おつとめ
秋分の日 秋彼岸会
11月3日 十夜法要
12月第1日曜日 浄焚会(じょうぼんえ)             古い位牌、仏具など燃える物を供養した後お焚き上げします。 
その他、毎月22日午後1時半から写経会
第2,4土曜日午後1時半からご詠歌の会
つきかげ会の住職の話を聴いてもらう会もあります。どうぞお尋ねください。
文化財
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平成22年松江市文化財指定
古文書 大保惠(おぼえ)日記4冊
松江の豪商新屋(あたらしや)分家(和多見町)に務める奉公人、太助の日記帳である。江戸後期、信仰心篤い太助としっかり者の女房と孝行息子2人のその当時の家族の営みを書き残した貴重な古文書である。
ご神体
御朱印の説明
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