しゃくごじ
赤後寺のお参りの記録一覧
赤後寺は、湧出山(ゆるぎやま)の中腹に建ち、厄を転じて利となす「転利(コロリ)観音」として親しまれ、三回参拝すれば長患いせず極楽往生できるともいわれています。日吉神社の鳥居をくぐると、赤後寺と日吉神社が並ぶ、昔ながらの神仏習合の姿です。
国の重文となっている聖観音像と千手観音堂は、姉川の合戦や賤ヶ岳の戦いなどの兵火から守るために村人たちが赤川の川底に沈めて隠したことにより、宝冠や手が流されてしまったとのことです。その際に仏像の枕にしたという由来がある御枕岩もありました。痛ましい姿というよりは、井上靖が「この観音様は、人間の苦しみを自分の体一つに引き受けたのでこのようなお姿になったのだ。」というように、とても神々しいお姿でした。
唐川の村人たちが毎日当番で、「おぶくさん」を供えているとの話からは、今なお村人達の信仰の基になっていることが分かりました。
滋賀県湖北地域の寺院巡りの4寺目は、2·3寺目と同じく長浜市高月町に在る唐喜山 赤後寺(しゃくごじ)です。
転利(コロリ)観音と呼ばれ、昔から多くの信仰を集めています。
浄土真宗で、本尊は聖観音と千手観音。
この聖観音立像(文化財登録名は菩薩立像)と千手観音立像は重文です。
毎年7月10日の千日会で開帳されますが、その日以外は事前予約が必要です。(予約していなくても当日に当番の方がいらっしゃれば拝観可能です。)
伝えによれば、奈良時代に行基により創建。戦国時代の賤ヶ岳の戦いの兵火により堂宇は焼失するも仏像は運び出された。現在は地域の方々により護られています。
日吉神社という社号標の手前に数台停めれる駐車場がありましたので停めさせて頂きました。
本堂へは鳥居をくぐり、石段を上がります。石段の手前に手水、手水の右側に御枕石(川に仏像を沈めた際に枕に使ったと伝わる)。石段を上がると稲荷神社、鐘楼、本堂です。鐘楼の石垣の周りには紫陽花が綺麗に咲いていました。
本堂正面から外陣に入って手を合わせました。内陣へは外陣から行けないため一旦外へ出て、右へ廻り込んだ横から入ります。拝観受付があり、予約した者と伝えて、拝観料(500円)を納めて、書置きのみですが御朱印を頂きました。
内陣の真ん中に立派な厨子があり、厨子の左側に千手観音立像、右側に聖観音立像が安置されていました。見た瞬間、とても神々しく感じました(神様ではないけれど)。
千手観音立像は、高さ約174cm、一木造、残念ながら腕は42本あるところが現状12本、手先は亡失しています。小顔で丸顔、衣は綺麗に丁寧に彫られています。聖観音立像は、高さ約183cm、一木造、手先は亡失しています。顔はやや四角張って、体はがっしりとした印象で、腰を少し左に捻っています。こちらの衣も綺麗に丁寧に彫られています。
両像とも手先がありませんが、却ってどの様な手の表現だったのかなと思いをはせるのもいいかなと思いました。
御朱印(書置きのみ)
手水
右側に御枕石
拝観案内
稲荷神社
本堂、鐘楼
鐘楼
本堂
本堂外陣
千手観音、聖観音(ネットから転載)
秋の観音の里ふるさとまつりで参拝
宝印の種子
キリクで千手観音さんだと思っていたんですが
梵字字典(小峰智行著,東京堂出版)によれば聖観音さんにも使うそうなので
どちらのことも表しているのかも?
文化庁の国指定文化財等 データベースでは
千手観音さんは木造千手観音立像(観音堂安置)ですがhttps://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/4923 target='_blank'>https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/4923
聖観音さんは木造菩薩立像(観音堂安置)になっていて面白いですw https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detai
印
伊香西国十五番
宝珠 キリク(千手観音種子?聖観音種子?)
唐喜山赤後寺
墨
大悲殿
唐喜山赤後寺
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