だいきちじ|天台宗|寂寥山
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ちょうど一年前にお参りしました。 前回はどなたも居られませんでしたが今回は住職が居られて、色々と教えて頂くことがありました。 それにしてもこのような山奥に200人近くの修行僧が居られたとは信じがたいです。
頼朝が匿われた「大吉寺」
野瀬町の一番奥の山の中。県道沿いに大きな立て看板があり、そこから集落の細い道を通って山道を通って一番奥。細いけどミニバンで通れた
石標前か、水道碑前に駐車できるスペースあり
「大吉寺」と「上之森神社」の石標の間に苔むした階段
階段登って右手に「安然堂」とお墓、(細い)天吉寺川に掛かる橋を渡って階段で山門
山門潜ったら苔がふっさふさのお庭で奥に庫裡、右手前の石階段登れば本堂
山門手前の道を登ったら大吉寺跡に行けるようだが完全登山道。無理。
源頼朝が平治の乱の後、大吉寺で匿われ難を逃れ、その後堂宇を再建したと言われている。その所縁か大吉寺跡に頼朝供養塔がある
「平治物語」で父義朝らが青墓に向かう道中頼朝が雪の中で迷子になった〜時に出てきたあれの寺
「地元では見ない奇抜な格好だから声をかけた」と住職が声をかけてくれました笑
話してみたらなんと同郷の出
地元とこの地方の雪の多さや人に害を与える虫のことを教えてくれた。後、常に湿気で乾燥とは無縁なんで髪はすごいことになるが肌には良いとも
虫、めっちゃ寄ってくる
参道
「そんな格好(サルエルパンツ)で行くと蛭がすごい速さで登ってくるから気をつけて!」と言われた階段
伝わりにくいけど苔が本当ふっさふさ
道が全然わからんけど大吉寺跡に行ける山道
歴史
大吉寺は暦応元年(1338)の勧進帳によると、貞観七年(865)の草創と伝え、『吾妻鏡』『平治物語』には平治の乱のあと源頼朝が大吉寺にかくまわれたことを記されている。
室町時代には幕府の祈祷寺として保護をうけていたが、大永五年(1525)の六角定頼の兵火や元亀三年(1572)の織田信長の破却などにより寺院は衰退の一途をたどり、現在、天台寺山麓の天台宗寂寥山大吉寺の一子院が遺存するのみである。
創建当時の堂宇は、天吉寺山の山頂付近に造営されており、本堂跡、門跡、塔跡、鐘楼跡や覚道上人入定窟、閼伽池などと石階をみることができ、さらに、本堂へいたる山道の所々に堂宇が建立されていたと推定される平坦部がある。
名称 | 大吉寺 |
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読み方 | だいきちじ |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0749-76-1051 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
びわ湖百八霊場 第39番 | 御本尊:聖観世音菩薩 |
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近江湖北二十七名刹霊場 第13番 | 御本尊:聖観世音菩薩 |
詳細情報
ご本尊 | 聖観音立像 |
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山号 | 寂寥山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 貞観七年(865) |
開山・開基 | 安然上人 |
文化財 | 大吉寺跡(県指定史跡)
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ご由緒 | 大吉寺は暦応元年(1338)の勧進帳によると、貞観七年(865)の草創と伝え、『吾妻鏡』『平治物語』には平治の乱のあと源頼朝が大吉寺にかくまわれたことを記されている。
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体験 | 武将・サムライ |
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