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2025年10月19日(日) 21時06分 by大國主神社

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ご由緒
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 その昔、大日本根子彦太瓊尊(孝霊天皇)が大和から敦賀に向かわれていたとき、にわかに白雲が立ち周囲が見えなくなり、進軍することができなくなってしまいました。
 尊は、「いかがはせむ。」とおっしゃりました。この近辺が『いかがわ(五十川)』という地名になった由縁です。
 進軍できずに困り果てた尊は、椋(当地では、榎を椋と呼んでいました。)の古木に向かい祈りを捧げられたところ、雲居から健雷命がお姿を現し、尊の道中を安全にお導きになりました。
 この縁から、当地に健雷命をお祀りし、白雲天神と称えられました。
 その名は都にも知られ、保延四(1138)年十一月に、属する木津荘が鳥羽院から山門に寄進された際に、鳥羽院から御歌を賜るほどでした。
 鳥羽院御歌 たづねれば こゝをあふみの古跡ぞと たれ 白雲のあめのふる神
 時代はくだり、宝徳四(1452)年一月、霧がかかり周囲を見渡すこともできず、通行に支障が生じました。十日後の一月二十五日になり、雲のすき間から少毘古神がお姿を顕し、たちまちにして霧を祓い遣られました。氏子や通行する人々は、これに感謝し、少毘古神を白雲天神に併せ祀ることにしました。
 明治四十三(1910)年七月、一村一社令により大國主神社に合祀し白雲座に鎮座することになりました。境内上段の鳥居と狛犬、社務所前の手水は、この白雲宮から遷されたものです。
Introduction
中興の祖
Restored time
社格