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おおたきじんじゃ

大瀧神社の編集履歴
2024年01月30日(火)
滋賀県 多賀大社前駅

ご由緒

《 大瀧神社(おおたきじんじゃ)》
創祀年代(祀ることを始めた年代)は不詳ですが、社殿は寛永15年(1638)徳川三代将軍 家光公の指令により、多賀大社(たがたいしゃ)、胡宮(このみや)神社と共に造営されました。古くから、多賀大社の末社(まっしゃ:本社に付属する小さい神社)、あるいは奥宮(おくみや:本社より奥にある神社)として考えられています。
大瀧神社の近くを流れる犬上川の清流は約10mもの落差を流れ落ちながら、奇岩怪岩の間をうねっています。「大蛇ヶ淵」と呼ばれる景勝の地でもあります。

《 犬上神社(いぬかみじんじゃ)》
大瀧神社の中にある神社。
犬上神社には、以下の『小石丸(こいしまる)伝説』が言い伝えられています。
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その昔、犬上神社の祭神、犬上稲依別王命(いぬがみいなよりわけおうのみこと)が、この辺りの村に出てくる恐ろしい大蛇を倒すために、愛犬の小石丸(こいしまる)と共に、狩りに出かけました。しかし大蛇はなかなか見つからず、疲れ果ててしまった王(稲依別王命:いなよりわけおうのみこと)は昼寝をすることにしました。
しばらくすると、小石丸が激しく吠え始めて目を覚ました王は、そのやかましさに思わず、太刀で小石丸の首をはねてしまいました。その首は、王の背後にいた大蛇の頭に噛みつき、そのまま一緒に川に落ち、大蛇は倒れました。
小石丸は、大蛇が現れたことを主人に知らせようと吠えたのであり、首をはねられても主人を守ろうと、大蛇に立ち向かっていったのです。王は命を守ってくれた忠犬の首をはねたことを悔やみ、この地に弔いの松の木を植え、首を祀る祠(ほこら)を建てたのでした。
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弔いの松の木は『犬胴松(いぬどうまつ)』と呼ばれ、大瀧神社に向かう鳥居を出て、道路を挟んだ向かい側に残されています。また、祠(ほこら)は、犬上川を挟んだ向かい側のところに建てられています。
犬の伝説があることから、主にわんちゃんの健康祈願に参拝される方も多くいらっしゃいます。

編集前:《 大瀧神社 (おおたきじんじゃ) 》
社殿は寛永15年(1638)徳川三代将軍 家光公の指令により、多賀大社( たがたいしゃ )、胡宮( このみや )神社と共に造営されました。古くから、多賀大社の末社( まっしゃ:本社に付属する小さい神社 )、あるいは奥宮( おくみや:本社より奥にある神社 )として考えられています。
大瀧神社の近くを流れる犬上川の清流は約10mもの落差を流れ落ちながら、奇岩怪岩の間をうねっています。「大蛇ヶ淵」と呼ばれる景勝の地でもあります。

《 犬上神社 (いぬかみじんじゃ) 》
大瀧神社の中にある神社。
犬上神社には、以下の『小石丸(こいしまる)伝説』が言い伝えられています。
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その昔、犬上神社の祭神、犬上稲依別王命(いぬがみいなよりわけおうのみこと)が、この辺りの村に出てくる恐ろしい大蛇を倒すために、愛犬の小石丸(こいしまる)と共に、狩りに出かけました。しかし大蛇はなかなか見つからず、疲れ果ててしまった王(稲依別王命)は昼寝をすることにしました。
しばらくすると、小石丸が激しく吠え始めて目を覚ました王は、そのやかましさに思わず、太刀で小石丸の首をはねてしまいました。その首は、王の背後にいた大蛇の頭に噛みつき、そのまま一緒に川に落ち、大蛇は倒れました。
小石丸は、大蛇が現れたことを主人に知らせようと吠えたのであり、首をはねられても主人を守ろうと、大蛇に立ち向かっていったのです。王は命を守ってくれた忠犬の首をはねたことを悔やみ、この地に弔いの松の木を植え、首を祀る祠(ほこら)を建てたのでした。
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弔いの松の木は『犬胴松(いぬどうまつ)』と呼ばれ、大瀧神社に向かう鳥居を出て、道路を挟んだ向かい側に残されています。また、祠(ほこら)は、犬上川を挟んだ向かい側のところに建てられています。
犬の伝説があることから、主にわんちゃんの健康祈願に参拝される方も多くいらっしゃいます。

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