なむらじんじゃ
苗村神社の編集履歴
ご由緒
創立年代不詳なるも往古より同形式の社殿並立し南殿を天神宮、北殿を二之宮と称し今尚建部之郷12ヶ村より御供を献納される、この内7ヶ村を氏子とし総社として崇敬最も篤く、当建部郷中に累世建部を氏とする旧家は当社の氏子にのみ存する。又日本三筆の1人と云われる建部伝内の「教訓の梅」墓等が木流に現存している。棟札に「夫当社奉名苗村天満天神尊敬不知其幾年頃依及大破而隣民発送営之志修之(中略)故近世孤陋、何非可知当社元由。然共僅板棟札有之書日、弘安4年辛已8月16日棟上、棟領藤井守国其外匠11人実名有之、自辛已今享保2年丁酉迄歴代考見凡437年。是当宮之濫觴哉(下略)」とあり当社は治乱相承け一時衰微するも中古平家全盛の時小松内府重盛公の心願に依り社領五百石を寄進され近郷の大社として再び隆盛を極めた。源家一統の後は社領を没収せられた為祭祀頓に衰へたが佐々木領となり佐々木近江守居城を観音寺山に築くに及び其の巽位を以て、家臣箕作承禎をして社殿を再興せられ社領二百五十石を寄進し、其の族をして毎年奉幣献馬し祭祀に供奉された。天正年間箕作城の落城の節社殿も兵火に罹り社領も織田氏の為没収される処となる。其の後仮殿を造り漸く祭祀を奉仕して来たが寛永11年に至って社殿を再建以って今日に至る。[滋賀県神社庁HP当神社ページより抜粋]
編集前:町の中央部にある大きな鎮守の森が国宝苗村神社です。近郷一帯33カ村にわたって氏子を有し、33年に一度行われる大祭は有名であり前回は昭和57年(1982)に行われました。社殿の多くが国宝や国の重要文化財に指定されています。
背景になっている森とあいまって荘厳さを見せる楼門をくぐると、国宝の西本殿(祭神国狭槌命(くにのさづちのみこと))があり、さらに東参道を進むと、国指定の重要文化財である東本殿(祭神大国主命(おおくにぬしのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと))がそれぞれ安置されています。社殿は簡素な造りですが、それぞれの蟇股(かえるまた)内の彫刻など細部の意匠が優れています。このほか、境内社の八幡社本殿・十禅師(じゅうぜんし)神社本殿などがあります。
また、神仏混合時代の名残りから、境内の不動堂には明王像も安置されています。一般の明王像は直立不動なのに、この像は、太い眉の間にシワを寄せた顔を左に向け、さらに上体をひねった動きのある像になっています。年末年始は、年越詣りから元旦の朝まで氏子青年会により参詣者に甘酒の無料サービスがあり、多くの初詣客で賑わいます。
ご祭神/ご本尊
《主祭神》
大国主命
少彦名命
《配祀神》
日本武尊
稲依別命
建部君
編集前:《主》大国主命,少彦名命,《配》日本武尊,稲依別命,建部君
見所
蒲生郡竜王町の苗村神社とは別の神社です。
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参拝時間
お詣りは24時間
編集前:お詣りは24時間
社務所 9:00から17:00
本殿/本堂の建築様式
三間社流造