ひくもじんじゃ
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日雲神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月30日(月)
参拝:2024年12月吉日
倭姫命さまが天照大神さまの鎮座地を探して巡行し、その道中で営んだ行宮「甲可日雲宮」に比定される元伊勢の一つです。明治までは上野山天神と呼ばれ別当寺が隣接する神仏習合の色濃い神社でしたが、神仏分離によって別当寺は廃され、現社名に改名されました。
《鳥居と社号碑》
《表参道》
道中には信楽高原鐵道という私鉄が走っています。踏切ないんですけど大丈夫なんでしょうか…
道中には信楽高原鐵道という私鉄が走っています。踏切ないんですけど大丈夫なんでしょうか…
《境内》
ちょうど正月前に氏子さんたちが準備と掃除のために境内に集まっておられました。
ちょうど正月前に氏子さんたちが準備と掃除のために境内に集まっておられました。
《手水舎》
水は流れていました。
水は流れていました。
《由緒書き》
《御祭神について》
天御中主神さまは幕末以降に復古神道の隆盛により、原初の最高神としての信仰が高まったものと、神仏習合時代に妙見菩薩を本尊としていた寺社が神仏分離後に祀り始めた説があります。
天御中主神さまは幕末以降に復古神道の隆盛により、原初の最高神としての信仰が高まったものと、神仏習合時代に妙見菩薩を本尊としていた寺社が神仏分離後に祀り始めた説があります。
《本殿》🙏
👁チェックポイント‼️
同じく比定社の甲可日雲宮には斎宮の垂水頓宮の跡地があるのに対し、当社の近隣には聖武天皇さまが一時営んだ紫香楽宮の跡地があります。紫香楽宮は仏教フリークだった聖武天皇さまが竜門石窟に盧舎那仏を掘ったりして半分修行の場としての側面がありますが、その立地から住居としては向いておらず、人臣からは賛同を得られず最終的には平城京へ戻ることになりました。
👁チェックポイント‼️
同じく比定社の甲可日雲宮には斎宮の垂水頓宮の跡地があるのに対し、当社の近隣には聖武天皇さまが一時営んだ紫香楽宮の跡地があります。紫香楽宮は仏教フリークだった聖武天皇さまが竜門石窟に盧舎那仏を掘ったりして半分修行の場としての側面がありますが、その立地から住居としては向いておらず、人臣からは賛同を得られず最終的には平城京へ戻ることになりました。
《神輿庫》
普段は閉まっているのでしょうね。
普段は閉まっているのでしょうね。
《末社①》
《末社②》
姫宮と呼ばれ倭姫命さまを祀っています。
姫宮と呼ばれ倭姫命さまを祀っています。
《授与所》
御朱印をいただきに伺うと境内にいた氏子さんが神主さんの奥さんらしき人を呼んでくださいました。
「こういう雰囲気の神社もいいでしょ?」
「むしろこういう神社が好きです!」
即答しました。
御朱印をいただきに伺うと境内にいた氏子さんが神主さんの奥さんらしき人を呼んでくださいました。
「こういう雰囲気の神社もいいでしょ?」
「むしろこういう神社が好きです!」
即答しました。
《授与品》
倭姫命さまが御杖代として何年も広範囲に歩き回っておられたので、その健康的な足腰にあやかって受けてきました。
また元伊勢を巡って参拝してると伝えると、後ろの甲可日雲宮についてまとめた資料をいただきました!
倭姫命さまが御杖代として何年も広範囲に歩き回っておられたので、その健康的な足腰にあやかって受けてきました。
また元伊勢を巡って参拝してると伝えると、後ろの甲可日雲宮についてまとめた資料をいただきました!
すてき
投稿者のプロフィール
![神祇伯さんのプロフィール画像](https://minimized.hotokami.jp/D0ZJqcMGlaRo7HhNleyk8n1KyGqizPNw__IDmrK-CGw/s:50:50/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20240207-155241_NekqeU5Xi4.jpg@webp)
神祇伯1512投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(2/9更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
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