とうてんてんまんぐう
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方登天天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月11日(木) 11時22分06秒
参拝:2026年5月吉日
大講堂から開運の鐘の横を抜け已講坂を下る途中に
登天天満宮様が鎮座されています。
御祭神は
菅原道真(スガワラノミチザネ)
をお祀りされています。
比叡山と天満宮と言うのがピンと来なくて少し
調べてみました。
千日回峰行の祖である相応和尚は
「学問の裏には厳しい修行が 修行の裏には学問の
裏打ちが必要だ。車の両輪のように両方学ばねばならない」
という信念を持っていました。
一方で道真は文章博士という当時の学問や思想の
最高権威です。2人は「知を極める友」として深く
意気投合します。道真が政治的に失脚して大宰府へ左遷された際も相応和尚は道真公の無事と無実をひたすら祈り続けました。
しかしその願いも虚しく道真は太宰府にて失意の
内に没します。
そして死して雷神(天神)になった道真は京の町へ
災いをもたらします。そしてかつて道真が師事した
天台座主の尊意僧正の元に姿を現します。
道真が
「今より自分を陥れた藤原時平たちに復讐するため
内裏に雷を落とす。朝廷から祈祷を頼まれても
私の邪魔をしないで欲しい」
と元師匠である尊意に懇願しました。
しかし尊意は
「国家の安泰を守るのが比叡山の役目である。
故にお召しがあれば断るわけにはいかない」
と拒否します。
それを聞き怒った道真公が口に含んだ柘榴を
吐き出すと それが激しい炎となり机を包みました。
尊意は水を用いた法力で瞬時に その火を
消し止めました。尊意の揺るぎない覚悟と法力を
前にした道真は それ以上荒れることなく そのまま
比叡山から天へと登って去っていきました。
これが「登天」の名の由来です。
メチャメチャ新しい祠でしたので こんなに歴史の
深いお社様とは気付きませんでした。
坂の途中と言うことで他にお詣りされている方は
居られなかったので ユックリと手を合わせさせて
いただきました(-人-)
登天天満宮様が鎮座されています。
御祭神は
菅原道真(スガワラノミチザネ)
をお祀りされています。
比叡山と天満宮と言うのがピンと来なくて少し
調べてみました。
千日回峰行の祖である相応和尚は
「学問の裏には厳しい修行が 修行の裏には学問の
裏打ちが必要だ。車の両輪のように両方学ばねばならない」
という信念を持っていました。
一方で道真は文章博士という当時の学問や思想の
最高権威です。2人は「知を極める友」として深く
意気投合します。道真が政治的に失脚して大宰府へ左遷された際も相応和尚は道真公の無事と無実をひたすら祈り続けました。
しかしその願いも虚しく道真は太宰府にて失意の
内に没します。
そして死して雷神(天神)になった道真は京の町へ
災いをもたらします。そしてかつて道真が師事した
天台座主の尊意僧正の元に姿を現します。
道真が
「今より自分を陥れた藤原時平たちに復讐するため
内裏に雷を落とす。朝廷から祈祷を頼まれても
私の邪魔をしないで欲しい」
と元師匠である尊意に懇願しました。
しかし尊意は
「国家の安泰を守るのが比叡山の役目である。
故にお召しがあれば断るわけにはいかない」
と拒否します。
それを聞き怒った道真公が口に含んだ柘榴を
吐き出すと それが激しい炎となり机を包みました。
尊意は水を用いた法力で瞬時に その火を
消し止めました。尊意の揺るぎない覚悟と法力を
前にした道真は それ以上荒れることなく そのまま
比叡山から天へと登って去っていきました。
これが「登天」の名の由来です。
メチャメチャ新しい祠でしたので こんなに歴史の
深いお社様とは気付きませんでした。
坂の途中と言うことで他にお詣りされている方は
居られなかったので ユックリと手を合わせさせて
いただきました(-人-)
すてき
投稿者のプロフィール
れん太郎1861投稿
元々は休日に景勝地へドライブが趣味で、神社仏閣もお参りするのが好きでした。 年齢を重ねて夫婦で何か形のあるものを残したいと考えていたところ、細君より御朱印集めを提案され令和六年三月より始めました...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。






