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2026年02月11日(水) 11時29分 bysoo_cyan
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さいほうじ
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西方寺は浄土宗にして福寿山善住院と号す。往古は田上山の堂が谷にあり、福寿寺と称す天台宗無本寺の大坊であったが、文永元年(1264)頃より約三百年間中絶す。元亀二年(1571)中興開山繁誉唯心和尚が浄土宗に改宗、城ノ下に移転再興す。後に信楽の多羅尾道賀上京のみぎり境内通行を寺側に拒まれたのを遺恨に思い、田上城主に着任の際に当寺を焼き打ちし全山灰燼に帰すと伝う。 寛文七年(1667)総本山知恩院の直末に列す。 現在の本堂は寛政十一年(1799)茅葺にて再建されたもので十年後に天井造作がなされ、明治十三年(1880)瓦葺に葺きかえ昭和五十年(1975)昭和大修理を施す。境内に膳所藩主本多康将公の弟・忠顕公とその妻子の墓三基あり。藩侯より右の善住院殿、隆崇院殿、廣正院殿の三尊靈永代供養の為、祠堂田を寄進、永代に境内の租を免す。重ねて御法事料と称して里町内より毎年、米六斗三升九合を寄進。以来長く継続し明治維新に至れり。歴代藩侯の黒印状七通が寺宝として今に伝わる。
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福寿山
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善往院
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繁誉唯心和尚
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元亀二年(1571)