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2026年02月12日(木) 00時15分 bysoo_cyan
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社伝によると、奈良朝の天平宝字元年瀬田建部大社の別宮として田上杣之庄里村に創めて造営され、同二年御遷座された。以来地方の崇敬篤く盛んな頃は、田上郷一円を初め青地・大石・田原の郷庄五十四箇村により神事が行なわれた。藤原時代の歌人源俊頼は其子俊重と此のもちゐの宮に参詣し共に歌を詠んだ事はその著書散水集に出てあり、また吉野朝の永徳三年在銘の神鏡によりその頃の信仰は相像せられる。天正十八年の大火により社殿悉く鳥有に帰した。その後追々復興せられ、また膳所藩主より一町四方の除地、神田三反歩の寄進を受け明治維新に及んだ。現在の社殿は延宝四年の再建である。明治九年村社に列せられ、明治四十一年神饌幣帛料供進指定。次で昭和十五年に郷社に昇格された。 神社の名称については、もちゐの宮(平安末)茂智津大明神(天正十八年)餠津大明神(延宝四年)毛知比宮(寛永)毛知比大明神(慶安より安政年間)茂智頭大明神(安政二年)の記録があり、もちの宮は保食神の宮の転訛したものらしい。
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077-546-1265
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日本武尊
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《主》日本武尊 《配》保食神(うけもちのかみ)
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南参道横にあり
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なし
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天平宝字元年(757)
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一間社流造 間口一間七寸 奥行一間五寸
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瀬田建部大社別宮
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湯立祭 千燈祭 五百燈祭 百燈祭 厄除祭 左義長 早穀祭(十月) 草木祭 (1月 9日)