たけべたいしゃ
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建部大社ではいただけません
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建部大社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月08日(火)
参拝:2021年4月吉日
建部大社(たけべ~)は、滋賀県大津市にある神社。式内社(名神大社)で、近江国一之宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は、本殿が日本武尊(やまとたけるのみこと)、本殿相殿神が天照皇大神(あまてらすおおみかみ)(または天明玉命(あめのあかるたまのみこと))、権殿が大己貴命(おおなむちのみこと)。
社伝によると、主祭神である日本武尊の死後の景行天皇46年(西暦116年)、日本武尊の妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が神勅によって、御子・建部稲依別命(たけべいなよりわけのみこと)とともに住んでいた神崎郡建部郷(現在の滋賀県東近江市)に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが始まり。飛鳥時代の675年に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座。奈良時代の755年に大神神社から大己貴命が勧請され権殿に祀られた。
平安時代の927年に延喜式神名帳において「近江国栗田郡 建部神社 名神大」と記載され、近江国一之宮として崇敬された。平安末期に源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社にて源氏の復興を祈願、のちに大願成就したことから出世開運の神として知られた。
なお、1945年8月に発行された当時の最高額面紙幣の千円札に日本武尊と当社本殿が使用された(激レアらしい)。
当社は琵琶湖の南端近くにあり、京阪石山坂本線・唐橋前駅から東に1km、瀬田川に架かる瀬田唐橋を渡った市街地にある。
参拝時は週末の午前中で、和正装をした乳飲み子連れの家族がお宮参り、記念撮影をしていたほか、一般参拝者もぱらぱらと途切れることなく来ていた。
社伝によると、主祭神である日本武尊の死後の景行天皇46年(西暦116年)、日本武尊の妃・布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が神勅によって、御子・建部稲依別命(たけべいなよりわけのみこと)とともに住んでいた神崎郡建部郷(現在の滋賀県東近江市)に日本武尊を「建部大神」として祀ったのが始まり。飛鳥時代の675年に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座。奈良時代の755年に大神神社から大己貴命が勧請され権殿に祀られた。
平安時代の927年に延喜式神名帳において「近江国栗田郡 建部神社 名神大」と記載され、近江国一之宮として崇敬された。平安末期に源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社にて源氏の復興を祈願、のちに大願成就したことから出世開運の神として知られた。
なお、1945年8月に発行された当時の最高額面紙幣の千円札に日本武尊と当社本殿が使用された(激レアらしい)。
当社は琵琶湖の南端近くにあり、京阪石山坂本線・唐橋前駅から東に1km、瀬田川に架かる瀬田唐橋を渡った市街地にある。
参拝時は週末の午前中で、和正装をした乳飲み子連れの家族がお宮参り、記念撮影をしていたほか、一般参拝者もぱらぱらと途切れることなく来ていた。
境内入口の<社号標>と<一の鳥居>。
西向きに建つ<一の鳥居>。参道は東に向かう。
しばらく進むと、参道は直角に左向き(北向き)に曲がる。
やがて現れる<二の鳥居>。注連縄が架けられ、柱のたもとには榊。気持ちが引き締まる。
<二の鳥居>から<神門>までの間には、由緒など神社に関する情報が説明されてた立て看板が多く立っている。特に興味深かったのは、上写真にあるアニメを使った当社由緒の説明。5枚の看板を使って物語風にアニメと文書で説明されており、若者・子供にも分かりやすく、興味が持ちやすい設計。うまい!
自分も知らなかった<幻の千円紙幣(甲号券)>。日本武尊と建部大社が描かれている。現在価値でざっくり180万円とのこと。1945年8月17日に発行され、1946年3月2日に失効した超短命紙幣。発行数が少なく、高額券でほとんど回収されたため、現存数は極少。
参道左側にある<手水舎>。大きくはないが、ちゃんと檜皮葺。
いよいよ神域入口の<神門>。檜皮葺、切妻造で左右に扉がある。中央には、大きく<御神燈>と書かれた大提灯に、三本杉の神紋の入った紫色の神社幕。
神門をくぐったところ。正面に社殿があり、その手前に御神木の<三本杉>が立つ。奈良時代の755年某日、権殿に大己貴命が祀られた際、一夜で成長したと伝わり、当社の神紋にもなっている。
まず社殿を見て廻る。最初に<拝殿>。本殿と権殿の共用になっている。
拝殿正面。<祈祷所>にもなっていて、参拝時、ちょうどお宮参りの祈祷を行っていた。
社殿全景。手前の拝殿から最奥の本殿・権殿まで奥行きがある。
拝殿の後ろ。水色の神社幕で囲まれた<拝所>と透塀に囲まれた<本殿・権殿>。
<拝所>正面。神聖な気が流れる。彫刻や装飾も美しい。
左が日本武尊を祀る<本殿>、右が大己貴命を祀る<権殿>。
本殿・権殿の裏側の透塀に埋め込まれている<菊花石(きっかせき)>。天皇系の家紋・十六葉八重表菊が自然に浮き出ている。
もう一つ、本殿・権殿の裏側の透塀に埋め込まれている<さざれ石>。小石が長い年月をかけて溶けた石灰岩で凝固し大きな巌のようになったもの。
社殿の左側にある境内社。左から順に<蔵人頭神社>、<行事神社>、<大政所神社>、<聖宮神社>。
社殿の右側にある境内社。左から順に<藤宮神社>、<若宮神社>、<弓取神社>、<箭取神社>。
<本殿・権殿>の右側にある<絵馬所>。見たことがないぐらい立派!
絵馬所の右側にある<神馬舎>。
神門近くまで戻って、境内東側を廻る。神池に架かる石橋の手前に建つ鳥居。<御小野神社>の扁額。
まっすぐ進むと<大野神社>。<えんむすびの神>として人気なのか、雨除けのテントが設営されている。ただ、せっかくの社殿がよく見えない...汗
大野神社の右手に離れて立っている<檜山神社遙拝所>。
大野神社の左隣に建つ<武富稲荷神社>。
武富稲荷神社の左隣に建つ<八柱神社>。
八柱神社の左隣に建つ<伊勢神宮遙拝所>。こんな立派な神宮遙拝所は見たことがない。素晴らしい!
神宮遙拝所の左隣、神馬舎の右隣に建つ<宝物殿>。有料(200円)で拝観できる。
宝物殿の前にある<枝垂れ桜>。当日ちょうど満開で、お宮参りの家族連れをはじめ、多くの人が写真を撮っていた。
神門くぐってすぐ左手にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所の近くにある<源頼朝公出世の水>。源頼朝は平治の乱で敗れた後、伊豆国に流される途中で当社に立ち寄り、源氏の再興を祈願し、願いが叶ったことからこう名付けられた。
最後にもう一度、社殿全景。バランスがよく美しい。戦前の最高額紙幣の絵柄になるのも納得!
初めて<近江國>の神社に参拝したので御朱印帳を購入。デニム生地のような表紙に金色の文字と日本武尊像、うぐいす色の御朱印バンドと、めちゃめちゃお洒落。センスが良い!
すてき
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惣一郎1269投稿
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