かすがじんじゃ
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楽しみ方春日神社のお参りの記録一覧

本務社の行田八幡神社がまだ社務所が開いて無いので、先にこちらを参拝。参道が公道になっていますので、えっ?ここに狛犬。昔は広い社地だったのでしょう。

社号標

慶応二年丙寅(1866)奉納の注連柱


大正十三年(1924)奉納の狛犬




参道

由緒書

昭和十二年(1937)建立の手水舎

手水鉢

一の鳥居

大正十二年(1923)奉納の二の鳥居


昭和五十四年(1979)奉納の燈籠


燈籠

大正七年(1918)奉納の燈籠


寛政五丑年(1793)奉納の燈籠


拝殿

扁額

本殿

昭和三年(1928)造営の神楽殿

境内社 御鹿社(お鹿舎)中には宝暦十二年(1762)と刻まれた石祠があるらしい

扁額には「御使鹿」


境内社 愛宕社・神明社・白山社・大神社・八幡社












御神木

さきたま古墳群を離れて、次は行田駅の北西方向にあるこちらへ。
行田八幡神社の兼務社のうち、佐間天満社の他にもう一つ御朱印出してるのがここなので責任詣でしてきました。
行田八幡神社のHPを見たところ、行田市内は言うに及ばず、羽生、加須、鴻巣と北埼玉の神社を相当手広く兼務してるらしいのですが、数ある兼務社の中でなぜ佐間天満社とこの春日神社だけ御朱印出してるんだろう?('_'?)とちょっと調べてみたところ・・・
まず佐間天満宮の方は忍城の南口、正木丹波守所縁の神社ということで自分みたいな戦国ヲタが結構行くからだろうと(たぶん違うw)
では春日神社の方は?と行田八幡神社のHPを見てみたところ・・・
のぼうの二世代前の忍城主、成田親泰公が氏神として勧請した大和の春日大社の直系分霊で、春日大社から毎年神使の鹿二頭を贈られるという非常に格式高い神社だった!?Σ( ̄□ ̄;)
成田氏自体も地方の小武家としては非常に家格が高く、あの八幡太郎源義家にすら下馬せず挨拶することを許された名門の家柄。
上杉謙信がこれを知らず関東管領就任式の時に、親泰公の子、長泰公が下馬せず挨拶したのに怒り「テメェ何様だゴルァ!(#゚Д゚)ノ」と扇子で烏帽子を打ち落としたところ、
関東の諸将に「なにあの越後の田舎侍( ゚д゚)(゚д゚ )ヒソヒソ」と総スカンを食らい、一斉に北条方に寝返られてしまったという有名なエピソードもありますw
ちなみに行田にはもう一社、熊谷寄りの方に春日神社があったのですが、そちらは行田八幡神社の兼務社ではない様子。
そちらについても調べてみたところ、奇しくも11月14・15辺りが例祭日!?(゚∀゚)
残念ながらどちらも仕事なんですが、その前日の13日(土)が休みで、神社の祭りはカレンダーに合わせてシフトすることもあるのでちょっと凸してみようかと画策中ですw


神社すぐ近くに駐車スペースがあったのですが、格式ある神社らしくここも参道は非常に長く、この遥か後ろの方まで続いてて神橋などもあるようです

住宅地の中にありますが、厳かでいい神社でした

井戸から直接汲み上げる手水舎

左側に神楽殿


本殿


賽銭穴から撮影
中は整然としてます

右側にある合祀社が立派だった

右から八幡社、天神社

白山社、神明社、愛宕社
そういえば行田は愛宕神社多いかも・・・
水の都のイメージがありますが、結構火事が多かったんですかね?('_'?)

春日大社の神使 御使鹿社

他の神社の神馬像のように神鹿像でもあるのかと思ったのですが、相当古そうな石祠が祀られてました
祠の穴が鹿の目でこちらを見据えてるようですね(゚∀゚;)
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