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菖蒲神社ではいただけません
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しょうぶじんじゃ

菖蒲神社
埼玉県 花崎駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

断捨離
2023年03月09日(木)
1290投稿

お花の名前がついているので、菖蒲がたくさん咲く神社かと思いきや、町名が菖蒲町でした。
菖蒲は無いけど、見事な藤棚があり、満開時にはさぞや綺麗だろうと想像できました。
元は袋田明神社と号し、稲田姫命をお祀りする神社です。

菖蒲神社の鳥居
菖蒲神社の狛犬

なんだか可愛い

菖蒲神社の狛犬

目がくりっとまん丸です。

菖蒲神社の建物その他

こちらの灯籠もなんだか凄いので、写真に撮ってみました。

菖蒲神社の建物その他

由緒書き

菖蒲神社の自然
菖蒲神社の自然

鳥居の近くにある御神木

菖蒲神社の芸術

有形文化財があるようですが、見られませんでした。

菖蒲神社の手水

手水の代わりなんでしょうね。

菖蒲神社の自然

菖蒲のフジ
見事な枝ぶりです。

菖蒲神社の自然

こちらからの方がわかりやすいかも。

菖蒲神社の本殿

拝殿

菖蒲神社の本殿
菖蒲神社の本殿

手が込んでいます

菖蒲神社の本殿
菖蒲神社の本殿

本殿

菖蒲神社の周辺

隣は遊具もありますね。

菖蒲神社の御朱印

御朱印も種類豊富です。

菖蒲神社の御朱印

本殿の木彫りの龍が御朱印にあります。

菖蒲神社の御朱印

本殿の龍と同じだぁ
菖蒲の様な凛とした文字も美しいです。

菖蒲神社の授与品その他

ハサミ紙もステキ

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みう
2023年05月20日(土)
845投稿

御祭神 稲田姫命
    大己貴命

実家里帰りの途中寄らせて頂きました、
☔でした

菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社の鳥居
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社の本殿

拝殿

菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社(埼玉県)
菖蒲神社の御朱印
菖蒲神社の御朱印
菖蒲神社の建物その他

奥に見えるのは藤棚です

菖蒲のフジで埼玉県指定の天然記念物
だそうです。樹齢400年超すそうです

時期には、見事な藤が見れるんでしょうね

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歴史

当社は、元は袋田明神社と号していた。『風土記稿』菖蒲町の項には「袋田明神社 祭神は稲田姫命と云、神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に寛文九年(1669)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置り、吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電、大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社」と記されている。別当の吉祥院は袋田山安穏寺と号する真言宗の寺院で、草創の年時は不詳であるが、開山は弘鑁、開基は菖蒲城主佐々木源四郎という。佐々木氏は金田を称し、後に小田原北条氏にくみして天正十八年(1590)豊臣秀吉に滅ぼされたという。
 当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置している。また、吉祥院もこの陣屋跡の西側に隣接していることから、当社も吉祥院同様に佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。
 神仏分離を経て、当社は明治三年に村社となった。更に同四十二年と大正二年に地内の無格社が合祀されたが、その多くは後に合祀が解かれ元地に戻された。
 当社の大元となった袋田明神社の社名は、氏子の間では、見沼代用水を隔てた新堀の地に祀る久伊豆神社の祭神大己貴命のお袋(母親)が稲田姫命であることに由来すると伝えられている。あるいは、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられるが、明らかでない。

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名称菖蒲神社
読み方しょうぶじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号0480-85-4345
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://shobu-jinja.com/
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主祭神》稲田姫命
《合祀神》誉田別命、素戔嗚命、倉稲魂命、金山彦命、速玉男命、菊理姫命、軻遇突智命、伊弉諾命、伊弉冉命、天津児屋根命、水波女之命、菅原道真公
ご由緒

当社は、元は袋田明神社と号していた。『風土記稿』菖蒲町の項には「袋田明神社 祭神は稲田姫命と云、神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に寛文九年(1669)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両社を置り、吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電、大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社」と記されている。別当の吉祥院は袋田山安穏寺と号する真言宗の寺院で、草創の年時は不詳であるが、開山は弘鑁、開基は菖蒲城主佐々木源四郎という。佐々木氏は金田を称し、後に小田原北条氏にくみして天正十八年(1590)豊臣秀吉に滅ぼされたという。
 当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置している。また、吉祥院もこの陣屋跡の西側に隣接していることから、当社も吉祥院同様に佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。
 神仏分離を経て、当社は明治三年に村社となった。更に同四十二年と大正二年に地内の無格社が合祀されたが、その多くは後に合祀が解かれ元地に戻された。
 当社の大元となった袋田明神社の社名は、氏子の間では、見沼代用水を隔てた新堀の地に祀る久伊豆神社の祭神大己貴命のお袋(母親)が稲田姫命であることに由来すると伝えられている。あるいは、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられるが、明らかでない。

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