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しょうぼういん|真言宗智山派慈眼山

観音寺 正法院の御由緒・歴史
埼玉県 内宿駅

ご本尊不動明王
創建時代康正元年(1455年)
開山・開基開山 円俊/中興開基 円俊
ご由緒

「栢間厄除け不動」と呼ばれ親しまれている寺である。『新編武蔵風土記稿』などによると、天王山塚古墳の菩提寺・正福寺の本寺で、過去帳によると領主鳩ヶ谷三郎左ェ門と歴代の菩提寺であったと伝えられている。慶安2年(1649)徳川3代将軍家光公より御朱印地10石8斗を賜ったとある。
正法院の過去帳によれば、康正元年(1455)に円俊の創建と伝わる。『新編武蔵風土記稿』には、「僧円俊文明年中(1469~1486)創建す」とある。また、『武蔵国郡村誌』では「慶長七年(1602)長深の創立にして開山は尊雄なり」とある。
かつてこの地を収めていた鳩井氏の菩提寺であり、その後鳩井氏の後に入封してきた内藤氏の庇護も受けた。
慶安二年(1642)には徳川家光より高十石八斗の朱印状を得るなど、往時は京都智積院の末寺として境内地6000坪に堂塔十数棟が建ち並ぶほど栄えていた。
承応三年(1654)には、第16世尊雄が中興開山したが、明治時代の廃仏毀釈や戦後の農地改革により、境内が大幅に縮小されてしまった。大正5年(1916)に末寺の正福寺の薬師堂を併合。現在に至る。

歴史
歴史[編集] 1455年(康正元年)、円俊によって開山された。そして当地の領主鳩谷氏の菩提寺となった。その後の徳川家康の関東移封の際、当地は家臣の内藤正成の所領となり、正成の帰依を受けている[1]。 1802年(享和2年)、信者より大般若経600巻が奉納された[1]。 ^ a b 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年、469p
引用元情報正法院 (久喜市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%B3%95%E9%99%A2%20%28%E4%B9%85%E5%96%9C%E5%B8%82%29&oldid=102530026

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