いこのはやみたまひめじんじゃ
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楽しみ方伊古乃速御玉比売神社のお参りの記録一覧
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滑川町伊古に鎮座する武蔵国比企郡唯一の式内社になります。
ご由緒によると、仁賢天皇の御代(5世紀後半)に蘇我石川宿禰の末裔がこの里を開き、三韓平治の高徳を仰ぎ、当所二ノ宮山上に弓箭の祖・安産の祖と崇敬し、気長足姫命、大鞆和気命、武内宿禰の三柱の神霊を祭祀して創建されたと伝えられています。
二ノ宮山を神体山と崇め、もとは山上に鎮座していましたが、文明元年(1469)に現在地に遷座し、比企郡総社にして豊穣の神・安産の神と広く崇敬され今日に至っています。
また、当社は「淡洲明神(あわすみょうじん)」と称し、滑川・嵐山の両町内には円を描くように7社の淡洲神社が鎮座します。
境内には安産信仰の象徴である「はらみ松」があり、古来より松皮を剥がして煎じて飲むと安産であると伝えられます。
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滑川町周辺は関東一沼が多い地域になります。
丘陵地形を活かして造られた「谷津沼(やづぬま)」と呼ばれるため池は、里山の暮らしを守る生命線です。人工的に造られてはいますが、その歴史は古く古墳時代には始まったと考えられています。
河川からの引水等がない「天水を利用した谷津沼農業システム」が、2023年1月に日本農業遺産に認定されています。
このような背景から当地域は沼信仰の地であり、その多くが「山、沼、神社」のセットで崇められ、雨乞いの神事が散見されます。
社名が表すように、本来は『速御玉比売命』がご祭神だと思われますが、その正体は謎に包まれており主に次のような3つの説があります。
【①天太玉命の后神】
当社のご祭神が「淡洲明神」と称されていることから、安房国一ノ宮の天太玉命の后神である「天比理乃咩命」の異名であると、神社覈録に記載されています。
また、茨城県神社誌には日立市の泉神社のご祭神「天速玉姫命」は天比理乃咩命のことだと記されていて、さらに常陸郷土史に天速玉姫命は伊古乃速御玉比売命と同神ではないかとの考察があります。
【②熊野の淡島信仰】
淡洲明神の「洲」は、当地域では「しま」と読むことから、紀伊国海草郡に鎮座する淡島明神、つまり加太淡島神社のご祭神を当社に分霊したとする説です。淡島明神は住吉明神の妃で、特に安産の神として信仰されています。
【③難波の坐摩神】
鎮座地である伊古は「和名抄」の比企郡渭後郷に比定され、渭後は「ぬのしり」と読みます。「ぬ」とは沼のことで、ぬのしりとは「沼の奥」の意味。
この渭後の地名は、摂津国難波から入植した渡来系氏族の壬生吉志と関連するという仮説があります。
その理由は、渭後が「いかしり」とも読めることから坐摩神社とのかかわりが伺えることにあります。
かく言う私は、天太玉命様の后神を調べていたら当社にたどり着きました。どの説もあり得そうですが憶測の域を出ません。古くは単純に沼(水)の女神様だったのかもしれませんね。
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本日1社目。今日は熊谷に所要があり、途中立ち寄りました。以前は御朱印は取り扱っていませんでしたが、最近始めたようです。但し、平日は神主様ご不在の為、日曜日だけのようです。(9時から14時)GWということもあり道路状況が心配だったため、少し早めに自宅を出発。現地には9時過ぎに到着、細い道を上がり神社裏に広く駐車スペースが設けてありました。丁度氏子さんが境内の清掃をしておりました。比企の総社で式内社の古社ですが、手入れはあまり行き届いておりません。交通の便も悪いため車での参拝がよろしいかと思います。しかし、神社社叢は県の指定天然記念物にもなっていて暖帯常緑樹と温帯落葉樹が相生しています。何も知らなくても雰囲気の良い社叢でした。神社名なる伊古乃速御玉比売命は現在の御祭神ではなく、又どのようなご祭神かも詳細は不明です。参拝を終え、先程の氏子さんに御朱印の件を訪ねるも、本日は神主様が外出の為頒布できないとのこと。10時からなら近くの農家レストラン「伊古の里」で書置きの御朱印が戴けるとのこと。今回は時間が早かったのでご縁がありませんでした。
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