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天台宗

明光寺へのアクセス
埼玉県 武蔵嵐山駅

アクセス情報

住所埼玉県比企郡嵐山町将軍沢308
行き方
駐車場

基本情報

近くの駅
武蔵嵐山駅ルート
東武東上本線
直線2.8km1h7分13分
つきのわ駅ルート
東武東上本線
直線3.2km1h15分15分
明覚駅ルート
JR八高線
直線4.0km1h35分19分

最寄駅ではなく、直線距離で最も近い駅を目安として表示しています。 Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。
情報提供: HeartRails Express

駐車場に関する投稿(1件)

タケ
タケ
2023年03月08日(水)491投稿

★鎌倉街道上道散策(鳩山町)3
【散策ルート】
①黒石神社〜②金澤寺〜③鎌倉街道看板〜④羽黒堂〜⑤笛吹峠〜⑥明光寺〜⑦日吉神社〜⑧縁切橋

 その先に笛吹峠があります。笛吹峠の標柱と案内板の近くにはトイレ、駐車場があり、車を止めて林の奥へ入ると旧街道の跡が見えてきます。

⑤笛吹峠
 笛吹峠は鳩山町と嵐山町の境にある峠で、標高は80mと低く、丘陵地帯の緩やかな峠と言う感じです。
 古来から交通の要所であり、平安初期には、坂上田村麻呂が布陣したと伝わる「将軍沢」の地名が今でも残っています。また、この付近は古代の窯跡が広く分布していて、硬質の須恵器や、瓦などが生産されていたことが確認されています。ここで作られたものは付近の平安時代の集落などから出土していて、瓦などは鎌倉街道を通して武蔵国分寺でも使用されていたようです。
また、南北朝時代にはここでも合戦が行われています。

『笛吹峠の戦い』
 南北朝時代の観応の擾乱(足利氏の兄弟喧嘩)後、正平7年(1352年)、新田義貞の3男・新田義宗、新田義興、脇屋義治、北条時行らは、南朝勢・宗良親王を奉じて挙兵します。武蔵野合戦の勃発です。鎌倉街道を南下し、武蔵野合戦にて鎌倉を目指しました。足利基氏、畠山国清、宇都宮氏綱、河越直重、大石信重ら足利尊氏の軍勢と戦いました。一旦は鎌倉を制したものの、差戻された新田義宗は笛吹峠まで撤退して陣を敷き、上杉憲顕と合流するなど兵力回復に務めました。
 こうして武蔵野合戦の最終決戦を笛吹峠で挑んだわけですが、2万の新田義宗は、8万の足利尊氏に大敗を喫します。
 その結果、新田義宗は越後に逃走し、宗良親王は信濃に逃れたため、関東での南朝勢力は一掃され、足利尊氏は関東を完全に制圧して行きました。

 平安初期に悪龍退治の為に陣を張った坂上田村麻呂を因んで、この辺りを将軍沢と言います。鎌倉時代以前の蝦夷(東北地方)征伐の為にも重要な街道であった事が伝説に因んだ地名でもわかります。

⑥明光寺
 明光寺は比企郡嵐山町将軍沢にある天台宗の寺院で、竪横山醫王院と号します。本尊は阿弥陀如来像。創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』では、明海が開山したとのみ伝えています。一方『埼玉の神社』では、将軍沢日吉神社項で「明光寺は、寺伝によれば、延喜十年(910)3月5日、坂上田村麻呂が東征の際、当地に寄った時に一堂を建立したことに始まり、元弘・延元のころ(1331〜40)には兵火にかかって塔堂を焼失した」としています。明治維新後の神仏分離令まで将軍沢地内の諸社の別当を勤めていました。 

明光寺(埼玉県)

⑤笛吹峠 道並

明光寺(埼玉県)

⑤笛吹峠 道並

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