いざなぎじんじゃ
伊弉諾神社のお参りの記録一覧
熊谷、兼務社巡り⑤本日の兼務社巡りもこちらで一応最後です。熊谷スポーツ文化公園が近いこともあり、本日行われるイベントのアナウンスが聞こえてきます。鎌倉幕府6代将軍宗尊親王が執権の北条市の隙を見ての帰京した際、供をしていた宮田太郎貞明が当地に逃れて宮守りとなったと伝えられ、上川上村の鎮守社だったといいます。宮田家は代々祇維持を22代まで勤め、明治になり親類にあたる茂木家が継いでいます。当社と下川上熊野神社、大塚熊野神社の三社を総称して「熊野三所権現」と呼ぶといいます。結構な広さの神社で、近くにラグビー場を本拠地とする埼玉ワイルドナイツの絵馬が奉納されていました。多分シーズン初めにはこちらで必勝祈願をするのでしょう。
北参道鳥居
文化十四年(1817)奉納の石祠と庚申塔
観音祠
如意輪観世音像の十二夜塔
馬頭観世音の石塔
社号標
表参道鳥居
参道
灯籠
灯籠
神橋
境内社 稲荷社
手水舎
寛延三年(1750)奉納の手水盤
狛犬
拝殿
奉納絵馬
本殿
神輿庫
遥拝所
御神木
境内社 八幡社
石祠群
寛保三年(1743)と刻まれていました
境内社 竈社
境内社 琴平社
由緒書
伊弉諾神社にお参りしてきました。
参道を歩き、拝殿に向かいますと思いのほか広い境内です。
外からでは木に囲まれていて様子がわかりませんでした。
車で数分のところに熊谷ラクビー場もあり、そこを拠点とするラグビーチームの祈必勝の大きな絵馬が掛かっていました。
御朱印は近隣の古宮神社でいただけるようです。(この後向かいましたが、ご不在でした)
拝殿
鳥居
御神木
御本殿
埼玉パナソニックワイルドナイツ(ラグビー)
北側の道路に面したところにある北鳥居、写真撮っている場所が駐車場です(5台分くらい)
古宮神社の御朱印あり兼務社のうち、ここはすぐ近くだったので次に向かいました。
この辺りの地域である上川上村の鎮守で、隣村の下川上の熊野社、大塚の熊野社の三社を総称して「熊野三所権現」と呼ばれるとのこと。
このうち、下川上の熊野社は見つからなかったのですが、大塚の熊野社は北に1km離れたところに現存してまして、無人社ながら古墳上に立つなかなか良さげな神社だったので、後日訪問してみようかと考え中。
(ちなみにここも古宮神社の兼務社でしたが御朱印なし)
創建年代は不明だそうですが、鎌倉時代中期の建長四年(1252年)、鎌倉に下向し第6代征夷大将軍に任じられた宗尊親王が、執権北条氏の隙を見て文永十年(1273年)密かに帰京してしまい、
親王のお供をした平家ゆかりの宮田太郎貞明という人が、北条氏の追及を恐れてこの地に逃れ当社の宮守りになったとのこと。
鎌倉からもさほど離れてないのによく追討されなかったな(・・;)
将軍本人じゃないのでそこまで追及されなかったのか、神職になったことで罪を免じられたのか、有力御家人の熊谷氏にでも保護されてたのか・・・
こういう歴史的背景があるためか、村社格の鎮守としては非常に立派な神社でした。
古宮神社といい上之村神社といい、狭い地域にこんな大社が固まってるなんて、熊谷スポーツ文化公園南東部はマジで古代からのパワースポットなのかもしれない(゜゜;)
すぐ南には国道17号と125号の合流点もあるし、これも国交省が何か風水的なものでここに決めたんでわ!?(;・`д・´)とか妄想w
駐車場は境内乗り付け
門前にあった神仏習合の名残のお堂
Google Mapでかなり拡大すると「観音堂・庚申塔」で登録されてました
二十二夜如意輪観音と馬頭観音はありましたが庚申は見当たらず
鳥居
立派な注連縄が巻かれてます
社務所や立派な神橋を見ると、わりと近年まで有人社だったんではないかと
脇参道の方にも新しめの鳥居
稲荷社
ここの稲荷は白狐等は祀られておらず、他の摂社と同じような感じ
拝殿
拝殿内
かろうじて額が見えた
やはり伊弉諾尊を祀ってるだけあって、無人社にしてはかなり本殿が立派
御神木
マキの木のようですね
左奥の摂社 八幡社
右奥の摂社 竈神
後ろの方に石祠
猿田彦や天神も祀られてるそうなので、これがそうかもしれません
右側から見た本殿
村社格の神社にしてはかなり豪華です
塚の上に琴平社
南向きの遥拝所がありますが、何に対しての遥拝所なのかは不明
このすぐ先に上之村神社がありますが・・・
うーん、戦時中に立てられた宮城への遥拝所かな?('_'?)
皇室といえば最近は眞子様・・・いや、これに触れるのは止めとこう(^^;
「でも幸せならOKです!」w
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